もう25年以上前といいう遠い過去のことですが、その当時バブル期を象徴するニュースとして数々のことが起こりました。たとえば1989年、アメリカのロックフェラーセンタービルが三菱地所により約2,200億円で買収されたことなど。
そのなかのひとつに、当時の大企業大昭和製紙の名誉会長によるゴッホの名画「医師ガシェの肖像」購入。しかしそれを有名にしたのは購入したことではなく、購入者がそれを「死んだら棺桶にいれて焼いてくれ」と発言したこと。その当時をニュースを覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

その後、「医師ガシェの肖像」は遺言通り、棺桶に入れて燃やされたのでしょうか。
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Wikipedia「医師ガシェの肖像」より



ゴッホ末期の名作「医師ガシェの肖像」


「医師ガシェの肖像」は、ゴッホによって描かれた作品。文字通り人物画ですが、死の一ヶ月前に描かれたという末期の作品です。バージョンが2つ存在するとのこと(この後ここで触れるのはひとつめのバージョンのものになります)。
この絵は人手を渡り、時にはナチスの退廃芸術廃棄運動により没収されたなどの経緯を辿った後、再発見され、1990年にオークションにかけられます。その時大昭和製紙の齊藤了英名誉会長により、当時としては史上最高の落札価格である8250万ドル(当時の日本円にして約124億5000万円)で落札。当時日本はバブル景気まっただ中(後から見れば末期)でしたが、それを象徴する物として話題となります。
ちなみにほぼ同時期に斎藤名誉会長はルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」も落札しています(この絵も2種類あり、落札されたのは小さいもの)。

■参考:《医師ガシェの肖像》フィンセント・ファン・ゴッホ|MUSEY[ミュージー]


「自分が死んだら棺桶にいれて焼いてくれ」発言の波紋


しかし、本当に話題となったのはその後の言動。これらの作品について「自分が死んだら棺桶にいれて焼いてくれ」という発言をしたことが報道されたことによります。
世界的には、美術品は社会の共有物である文化遺産という意識が強く、個人の死後にそれを消失させるようなことは非常識であるが故に、とりわけ海外の美術品愛好家から批判されます。
しかしその後、この発言を撤回、死後は寄贈するとのコメントを出しました。

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大昭和製紙、日本製紙と事業統合


しかし1990年代に入ると製紙業界の不況で大昭和製紙も赤字となり、さらには1993年にはゴルフ場建設を巡る1億円の贈賄容疑で齊藤了英氏逮捕(1995年には執行猶予突きの有罪判決)。名門であった社会人硬式野球部も閉鎖。
ちなみに大昭和製紙は2001年に日本製紙と事業統合され、日本大昭和製紙となり、現在では名前は消滅しています。


会長死後の絵画の行方


その齊藤了英氏ですが、1996年に79歳で死去。その時購入した絵画はどうなったかというと、棺桶に入れられることはなく1997年にサザビーズに売却されます。その後に、課税などでいろいろあった模様。

故斉藤了英氏の相続税務訴訟でゴッホの絵画評価額を判断(2005.5.9)

その後アメリカの投資家ウォルフガング・フロットルが納入したものの、再び手放され、またサザビーズに売却されます。しかしその後は所在が不明ですが、おそらくは個人に売却されたものと見られているようです。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットのほうも手放されましたが、こちらは外国に渡ったようです。


多分同じようなことは起きないだろう


このことは、ロックフェラーセンター買収そして売却と同様、今でも1980年代のバブルを象徴する出来事として語られることがあります。
ちなみに『ゴルゴ13』の「涙するイエス」という話で、この一件が話のモデルにしたと思わしき話があります。
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しかしながら、今語られるところによると、あの発言は真意では無く誤解として広まったという言葉もあります。

「ゴッホと一緒に焼いて」の「斉藤了英」は「シャガール」と号泣した | デイリー新潮


ただ、どちらにしても今後は日本でこんな高額で美術品が購入されることなんてあり得ないでしょうね。あの時代の、あの異様に盛り上がった景気だからあったという、歴史の記録でしょう。
ただ、中国やアジア各国などかつての新興国がバブルになった時、歴史の繰り返しは起こるでしょうか……。