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ゲーム

3DOはあれからどうなったのか

3DOという名前をご存じの方はかなりいらっしゃると思います。それは1995年あたりでプレイステーション、セガサターンと次世代ハード争いを繰り広げたゲームハードとして。あれは松下電器が販売したために、初期はそれらと張り合うか? とも言われていました。しかしいろいろな要素から失速し、所謂負けハードとなってしまったものです。

では、そもそも「3DO」とは何だったのか、そして3DOの発売元は今どうなっているのかを今日は書いてみることにします(2011年6月21日、『3DOのパナソニックが発表した新ゲームハードはそれからどうなったのか』を書いたことに伴い若干修正)。
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ハッカーインターナショナルはそれからどうなったのか

「ロッチ」のシールを売り出したコスモスはその後どうなったか』においてコスモスとロッチのことについて書いたら、妙に反響が大きくてちょっと驚いています。みんなロッチ好きなんだなあ(アレゲな意味で)。
さて、それだからじゃないですが、当時もうひとつあったこの手のダークさを持ったもので有名なものについて今日は書いてみようと思います。

その名は「ハッカーインターナショナル」。
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サテラビューはあれからどうなったのか

前回、『セント・ギガはそれからどうなったのか』と関連する話になります。

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『ネットげーせん』はその後どうなったのか

『ネットげーせん』といっても、ほとんどの方はご存じないと思います。これはメディアカイトという会社が始めようとしたサービスで、1970-1990年頃に人気を博したアーケードゲームをPCにダウンロードし、1回50円でプレイできるというサービスという触れ込みでした。

懐かしのゲーム、ネットで復活
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横井軍平氏が設立した株式会社コトは今どうなっているのか

「横井軍平」という名前を聞けば、ある程度ゲームに詳しい人ならぱっと業績が答えられる名前だと思います。
ゲームを知らない人のために説明すると、横井軍平氏は、任天堂がまだただの花札会社だった時から「ウルトラハンド」などを作成、「ゲーム&ウォッチ」を開発し、任天堂を大きな会社にと成長させ、さらにファミコン及びのいくつかのソフト(「バルーンファイト」「ドクターマリオ」など)の開発に携わった上、ゲームボーイを開発し、任天堂を大会社に成長させた立役者の1人です(ちなみに失敗と言われている「バーチャルボーイ」も、個人的にはコンセプト自体は悪くなかったと思っています)。任天堂ならず世界中の有名人となっている、「スーパーマリオブラザース」や「ゼルダの伝説」の生みの親、宮本茂氏の師匠とも言われています(参考:任天堂 岩田聡社長インタビュー

私はゲーム好きで『ゲームミュージックなブログ』なんてブログもやっています。で、どっかの板のようにどのハードの信者でもないつもりですが、横井軍平氏の考え方、特に「枯れた技術の水平思考」は好きです。これを語ると長くなるので、それについては以下を読んでください。

 ■横井軍平コンピュータ偉人伝さん)
 ■横井軍平 - Wikipedia

横井氏は「50を過ぎたら好きなことだけをしたい」と任天堂を退社後、株式会社コトを設立。そしてワンダースワン開発に携わり、自らもソフト開発を行っておりました。しかし、任天堂退社から1年後の1997年10月4日、自動車事故でこの世を去りました。このことは、横井さんを知っている方ならご存じの方も多いでしょう。しかし、その設立した株式会社コトが今どうなったか、ご存じの方は少ないのではないでしょうか。それが気になったので、今回ちょっと調べてみました。
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「中杜カズサ」という名のいろいろ書いてる人。主にゲーム音楽のことやゲームの話やその他いろいろ書く。ほとんど見当たらないからインターネット史ライターでも名乗ろうかと思ったり。他にモブログ幾つか運営中(下記参照)。

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