毎年年末になると「新語・流行語大賞」というものがニュースとなります。もとは『現代用語の基礎知識』を刊行している自由国民社がはじめたもの。現在は通信教育出版社ユーキャンと提携し『ユーキャン新語・流行語大賞』として行われています。

新語・流行語大賞

さて、1984年から始まったこの大賞ですが、その時々では新語・流行語だったそれを今見返してみると、今となっては現代史の一部となった当時の事件や世相を思い出すのに最適のものとなっています。

そこで、1984年から各年度の新語、流行語大賞を見返しつつ、その年に起こった事件や出来事を振り返ってみようと思います。そしてこのブログらしく、今どうなったかについても触れてゆきます。
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「疑惑」とロス疑惑事件


流行語部門・銅賞となったものは「疑惑」。これは『週刊文春』が報道した、ロサンゼルスで起きた銃撃事件いついての報道についてのもの。そして後にその事件「ロス疑惑」として有名になります。

「ロス疑惑」は一般的には1981年から1982年にかけてアメリカのロサンゼルスで起きた殺人、傷害事件(後述の数年前の事件を含む場合もあり)。
1981年の8月、ロス市内のホテルにて三浦和義氏の妻の一美氏がハンマーで襲われ数針を縫うケガ。
その後11月にロス郊外の駐車場にて、三浦和義氏と一美氏が銃撃を受け、妻の一美氏はそのとき重体となり翌年死亡、そして三浦和義氏も足を撃たれてケガを負います。
そして1億5500万の保険金が保険会社から三浦和義氏に支払われます。

しかしこの事件について、1984年の1月より週刊文春が「疑惑の銃弾」として連載を開始。その衝撃の強さや疑惑の多い点から週刊誌からワイドショーまで多くのメディアを交えた大報道が開始されます。
1984年5月、最初の襲撃の実行を告白する女性が登場し。産経新聞に三浦氏に依頼されたという告白を書いたことで報道が一気に加熱。
そして9月、三浦氏が殺人未遂容疑で日本の警察に逮捕されます。

その後襲撃し、障害を負わせたとする女性は2年6ヶ月の実刑判決。三浦被告には東京地裁において殴打事件において懲役6年の判決。
銃撃事件に対しては、東京地裁では三浦被告に対して無期懲役を言い渡したものの、証拠不十分とし逆転無罪となります。その後三浦被告は殴打事件の6年判決が1998年に最高裁にて確定。収監。
なお、銃撃殺人事件についても実行犯とされる男性が逮捕されましたが、1998年無罪が確定となり、三浦被告についても一審は無期懲役だったものの高裁では無罪、そして2003年に最高裁でも無罪が確定。


この事件では前述の通りその報道が過熱しましたが、それらネガティブな報道に対して三浦氏は名誉毀損を理由に主にマスメディアに対して民事訴訟を数多く起こします。最初の週刊文春の報道でも、関与説については相当の理由があるとされたものの、未成年時代の非行を銃撃事件と結びつけた記述に対しては名誉毀損が認定され、1000万の支払いが命じられました。
ちなみにここで東スポに対しても名誉毀損訴訟が行われたのですが、東スポ側は「東スポの記事を信用する人間はいない」という主張を行いました(地裁ではそれが認められ棄却となったが、上級審で名誉毀損が認められた)。


さて、この事件が過熱した理由としては、このロスの事件のほか、銃撃事件の更に前の1979年、「ジェイン・ドウ・88事件」という身元不明の遺体がロス郊外で見つかった事件の存在もあります。(「Jane Doe」とはアメリカで身元不明、匿名の女性を差す)。
この被害者の身元を確認した結果、1977年に三浦氏と交際していた女性であり、経営する会社の取締役であったことが判明。妻への襲撃、銃弾事件のほかにもこの件が合わさって加熱の要因となっていました。
しかしこの件は嫌疑不十分で長い間立件されませんでした。
しかし、これは数年の時を経て思わぬ形で浮かび上がることになります。


2008年2月22日、三浦氏はサイパン島旅行中にアメリカ捜査当局に殺人罪及び殺人の共謀罪の容疑で逮捕。アメリカではその時点でもまだロス疑惑の捜査が続いており、アメリカの捜査当局「ジェイン・ドウ・88事件」はこの件で三浦氏を訴追するために身柄を拘束。
しかし時効の存在や一事不再理など日米二国間での問題も絡むため、この逮捕状が有効か無効かが双方の主張で争われましたが、裁判所が殺人罪を無効、共謀罪を有効とする判決を下し、身柄をロサンゼルスに移送することを決定。
そしてロサンゼルス移送後の2008年10月10日、三浦和義氏は留置施設内で自殺。
その余りにも急激な展開で、他殺説さえも出ています。

「疑惑の銃弾」事件
ロス疑惑 - Wikipedia

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三浦和義氏からの手紙―「ロス疑惑」心の検証 (幻冬舎アウトロー文庫)


「千円パック」とグリコ・森永事件


1984年3月18日、製菓会社、江崎グリコの当時の社長が誘拐され、身代金を要求してきたことから事件が始まります。社長は3日後に自力で脱出して保護されたものの、翌4月から江崎グリコに脅迫状が届き始め、本社への放火事件も起きます。同時にマスコミにも犯行声明が送りつけられます。その時犯人が名乗った名前が「かい人21面相」というもの。
5月になると犯人から各報道機関に挑戦状が届き、グリコ製品に青酸を混入するという脅迫がなされます。そのために小売店ではグリコ製品を撤去せざるを得なくなります。

警察はこの事件を「広域重要114号事件」に指定。
6月2日には寝屋川アベック事件(アベックが犯人と思われる人物に襲撃されて車を乗っ取られ犯行攪乱に巻き込まれた事件)が発生。
6月22日には丸大食品にも脅迫状が届き、この時の捜査時に捜査員が怪しい「キツネ目の男」を発見し、そのモンタージュがその後全国に広まることとなります。このモンタージュが作家の宮崎学氏に似ていたため、一時期犯人ではないかとも噂されました(現在は各方面から完全に否定)。

さらに9月になると、今度は森永製菓に脅迫状が届き、同じく報道機関に挑戦状が到達。そして10月になると各地のスーパーで「どくいり きけん たべたら しぬで かい人21面相」青酸入りの森永の菓子が13個発見されます。
そのため、全国の小売店は森永製菓の商品も撤去せざるを得ない事態になってしまいます。この時森永が被った損失は200億円以上と言われています。

さて、受賞した言葉の「千円パック」ですが、この時に犯行を防止するために完全に菓子を密封したセットのお菓子パックを森永製菓が1000円で売ったものがそれになります。被害を受けた森永への協力という形で、撃っている場所に人が押しよせて購入しているニュースがテレビで流れました。




その後ハウス食品、不二家などにも脅迫状が届きますが、犯人逮捕には至らず。ちなみにハウス食品事件に時に犯人をあと一歩の所まで取り逃したという出来事があったのですが、その影響か、8月に滋賀県警本部長が退職の日に自殺。
その後1985年の2月24日にマスコミに森永製菓への脅迫状を終結させる文書が届き、8月には終息宣言が送られます。そしてこの日以来犯行声明は止まります。


その後1994年、江崎グリコ社長の誘拐事件の控訴時効成立。そして2000年2月13日、犯人未逮捕のまま全ての公訴時効が成立。
しかし、犯行動機や行動にしても不自然な点が多いなど、いまだに事件には不明な点が数多くあり、昭和の事件の中でもいまだに大きな謎が残るものの一つとなっています。

あと影響としてはその時以降、お菓子をはじめとして商品への梱包が事故防止のために厳重になっていったことがあります。それこそ昔は紙の箱の中にビニールの袋が入らず、そのまま製品が詰められているようなお菓子も多かったですが、これ以降明らかに変化しました。

グリコ・森永事件
グリコ・森永事件 - Wikipedia


1984年のその他の新語・流行語


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そのほかのものとしては、新語大賞に選ばれた「オシンドローム」。これはNHK朝の連続テレビドラマ『おしん』が大ヒットとなった現象より。
流行語大賞は「まるきん まるび」。ベストセラー『金魂巻』で使われた言葉です。

以下、鈴虫発言(中曽根康弘首相の言葉より)、「スキゾ・パラノ」、「特殊浴場」(それまで「トルコ風呂」と言われていたものへの言い換え運動が起こった)、「くれない族」(当時のドラマ『くれない族の反乱』より)、「教官!」(同時のドラマ『スチュワーデス物語』より)、「す・ご・い・で・す・ネッ」(所ジョージのギャグ)があります。
ちなみに「教官!」とか、「ドジでのろまな亀」という言葉に反応したら、少なくとも1984年には物心ついていたという可能性が推測されます(ちなみに1984年生まれは2016年現在で32歳)。


その他の出来事


流行語大賞とは別にその他、この年に起こった事件としては、夕張保険金殺人事件、ロサンゼルスオリンピック(夏)、サラエボオリンピック(冬)などがありました。オリンピックでは山下泰裕氏がケガの中金メダルを取ったことが有名に。


次は1985年。8月に日本最大の航空機事故が発生した年になります。

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1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

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