ゲームに多少詳しい人なら「アタリ」というメーカーをご存じなのではないでしょうか。

有名なところでは『スペースインベーダー』登場前のゲームの黎明期に人気を集め、ゲームの市場を広げることになった作品『ポン』の製造元であり、『リンクス』『ジャガー』というハードを発売したものの売り上げがイマイチ以下だったりしたのも有名ですが、なんといっても「アタリショック」という言葉が同社の名前が使われたものでは一番有名では。

さてこのメーカー、度々「経営危機」とか「倒産した」とかいうニュースを聞いたかと思えばまたその名前を聞いたりする感じではないでしょうか。かつてはアタリショックの時から、リンクス、ジャガーが売り上げ不振だった時など。それのため、現在どうなっているのかよくわからない人も多い気がします(映画で言うと、何度も身売りとかがありつつ現存している「にっかつ」みたいに)。

■参考:映画会社の日活はそれからどうなったのか - Timesteps

というわけで、今日はアタリがとうなっているかというのを書いてゆこうと思います。
Atari 2600
Atari 2600 / See El Photo



米国アタリとアタリジャパン


さて、まずゲームニュースでアタリに関して語られる場合、主にふたつの(実はふたつ以上あるのですが、それは後述)アタリが存在します。それは海外での会社である「ATARI」と、ATARIの日本法人である「アタリジャパン」。勿論世界的には米国のアタリの方が大きく、ゲーム黎明期からの影響もあるのですが、日本法人も1980年代にナムコと深い関係があったり語るところが多いのですが、今日はそこまで踏み込むと混乱するので、まず海外のアタリに絞ってその歴史を簡単に語ってゆくことにします。


世界初のゲーム専門会社、アタリ


アタリはノーラン・ブッシュネルにより1972年に創業した、世界初のゲーム会社です。この当時、ビデオゲームというものは市場に存在しないに近く、このアタリが実質世界初のビデオゲーム専門会社として設立されます。ちなみにノーラン・ブッシュネルは、アタリ設立前に「コンピュータースペース」というアーケードゲームを開発しています。
ちなみに「アタリ」という名前で、日本語の「当たり」を連想した方がいらっしゃると思いますが、海外企業でそんなことはないだろうと思われるでしょう。ですがそれは正解です。創業者のノーラン・ブッシュネルは囲碁が得意だったことで、囲碁用語でも使われる「当たり=アタリ」からこの社名がとられたとのことですので。さらにアタリのマークは、富士山をイメージしていると言われています。

アタリはしばらくはピンボールの販売などをしていましたが、同時期に「オデッセイ」という家庭用ゲーム機が発売され、その中に入っていたテーブルテニスを参考に、1972年に「ポン」を発売します。いわゆる動く線と●で構成されたテーブルテニスゲームですね。

これがとんでもない大人気となり、アタリは急成長を遂げます。ただ、これが同時期に発売された家庭用ゲームの「オデッセイ」と酷似していたために訴訟になります。結果として、初の大ヒットしたアーケードゲームは、初のゲーム訴訟も抱えることになります。

しかしアタリが当時版権を持っていたマグナボックスに特許料として700,000ドル支払っても、それを上回る売り上げで急成長を遂げてゆきます。
そしてこの急成長中の1973年に日本支社として「アタリジャパン」を設立します。

ポン / PONG (1972 アタリ) - ゲーム中毒 - Yahoo!ブログ
■参考:ポン (ゲーム) - Wikipedia
■参考:オデッセイ (ゲーム機) - Wikipedia


アタリとアップルコンピュータの関係


さて、この急成長中の1974年頃、同社40人目の従業員がアタリに入社しています。その人物の名は「スティーブ・ジョブズ」。そう、現在世界的企業となっているアップルコンピュータの創立者です。
当時彼はアタリの新作ゲームである「ブレイクアウト」(ブロック崩し)の開発に関わっていましたが、この当時からもうひとりのアップル創立者であるスティーブ・ウォズニアックと共に、アタリの工場でゲームを遊び通していたそうです。さらに「ブレイクアウト」のICチップを減らす回路を構築するのに対して、ウォズニアックが手助けもしていたということ。

このあと、ジョブス達はアップル社を設立し、パーソナルコンピュータ「アップルI」を開発します。その会社の現在は多くの人が知る通り。


ブッシュネルの退社と社風の変化


アタリに話を戻します。

1976年にアタリの発売した「ブレイクアウト」は、これも大人気となり、ゲーム市場を拡大させます。
そして同時期、アタリは家庭用ゲーム機として「VCS(Atari 2600)」の発売を計画しますが、それの為の資金が不足します。そこでアタリは株式をワーナー・コミュニケーションズ(後のタイム・ワーナー)に売却し、傘下に入ります。そしてVCSは1977年に発売となります。しかし、当初VCSは売れず、てこ入れのために後に会長となるレイモンド・カサールを、家庭用部門のトップとして入社させます。ですが、ここからいろいろと順風に見えた会社に波乱が起こり始めます。

それまでのアタリの社風は、自由奔放ないわゆる技術者が趣味を生かしてゲーム作りをしている雰囲気だった社風だったものが、ワーナー傘下になったことによる事業拡張と、レイモンド・カサールをはじめとする売上重視の人間が役員になったことで、技術者で軋轢が起こり、そんな中、ブッシュネルがワーナー側の役員抜きで会議を開いたことが決定打となり、1978年12月、創業者のノーラン・ブッシュネルが解任されます。

その後、レイモンド・カサールが会長となるものの、カリスマ的創業者であったブッシュネルが去ったことや、それに伴い以前の自由な社風が厳しいものに変わってきたために、2?3年のうちに古くからの主要スタッフがどんどん離れてゆくこととなります(解雇されたものも含む)。社風が利益重視になってきた結果、経営陣は自分からゲーム機で遊ぶことさえもしなくなったそうです。
それでもVCSは『スペースインベーダー』や『パックマン』の移植もあり、軌道に乗り始めます。しかし、1980年代になると、この人気にかげりが見え始めます。そして「人気作品を出せば売れる」ということで粗製濫造のソフトも溢れるようになりました。


アタリショック


そして1982年のクリスマス商戦、アタリが投入したソフト「E.T.」の売り上げが予想を遙かに下回り、アタリは業績を下方修正することになります。アメリカではゲームソフトの返品制度があるため、売上高も急落し、翌年の業績は営業赤字に陥ります。このあたりの現象は「アタリショック」と言われます。

ただ、一般的に「アタリショック」と言われると、ゲーム市場に粗製濫造のソフトが溢れ、それが原因でユーザーに見放され、ゲーム市場が瞬く間に崩壊したというふうに言われていますが、現実は必ずしもそうではありません(ただ、事実とは別に市場崩壊の恐れとして比喩的に使われる言葉としては個人的にアリだとは思っていますが)。

上記の通りアタリの業績が悪化したのは事実です。しかしアタリの業績低下の主たる原因は、「E.T.」の売り上げが見込みよりはるかに下回り(600万個を製造していたのにもかかわらず、100万しか売れなかったとのこと)、それが返品制度のあるアメリカでは利益に非常に響いたために、アタリの業績を圧迫したというのが事実みたいです。また、いきなりこの年に急にゲーム市場が縮小したわけではなく、Commodore64などのホームコンピューターや、ColecoVisionという対抗ゲーム機が出現していたためにそちらにユーザーの興味が移行して、VCS自体がハードとして末期にさしかかっていたために売り上げを下げたと言えるでしょう(もちろん売り上げを保ち続けるようなおもしろいソフトを出せなかったのも敗因ですが)。
故に、「ユーザーがいっぺんに見放して市場崩壊した」というよりは「アタリの経営判断ミスによる自爆」的側面が強いのではないかと。ただ、市場が急速にではないにせよ、訴求力のあるハード&ソフトがなく、徐々に縮小していたのは事実でしょう。

任天堂文脈でのアタリショックと史実のアタリショック | GMDISC.com~ゲームミュージックなブログ~


そして、前述のVCS対抗馬も有力なソフトがなかったために人気が出ず、1983年?1985年あたりではアメリカのゲームは空洞化します。そこに1985年、NES(ファミコンの米国名)が登場して市場を席巻するわけですが、それはNESとそのソフト(『スーパーマリオブラザーズ』等)の力があったのはもちろんですが、空洞化していたゲームに対する需要が存在したというのもあるのかもしれません。

このアタリの業績低下により親会社のワーナーコミュニケーションズも煽りを受けます。そしてカサール会長は解任されます(その際にインサイダー取引の疑いも浮上した模様)。  しかし、アタリの業績は回復せず、その後NESで進出してきた任天堂にその市場を奪われることとなります。

2004-05-14 - Classic 8-bit/16-bit Topics
■参考:アタリショック - 通信用語の基礎知識
■参考:アタリ (企業) - Wikipedia


その後のアタリ


そして1985年、アタリはアーケードゲーム部門であるアタリゲームズと、家庭用ゲーム部門であるアタリコープに分割されます。  しかしアタリゲームズは、『マーブルマッドネス』、『ハードドライビン』など1980年代の名作アーケードゲームを生み出します。そして子会社である『テンゲン』も設立しますが、これは任天堂と裁判になったりもしています。

そのうちタイムワーナー社に買収され、一時的にタイムワーナー・インタラクティブとなったあと、1996年3月ウィリアムス・インダストリーズに買収。さらにそこから分離したミッドウェイゲームズにアタリブランドは引き継がれます。しかし2000年2月にミッドウェイはアタリブランドを停止、それ以後使われなくなってしまいます。おそらくこのへんのゴタゴタが、アタリが消えたとか消えてないとか混乱することになっているのでしょう。
さらに、2009年2月12日、ミッドウェイゲームズ社は連邦倒産法第11章に基づく再建のための法的手続きを開始。

その後破産したミッドウェイを買収したのは、ワーナー。アタリゲームズは再びワーナーの傘下となりました。


そしてもうひとつのほうのアタリコープですが、家庭用パソコン市場に参入し、成功します。そしてゲームハードとして1989年にリンクス、1993年にジャガーを発売するのですが、どちらも失敗。ゲームハードから事実上の撤退となります。

その後買収が矢吸収合併が行われた結果、現在はインフォグラム傘下になっています。
インフォグラムでもアタリブランドが使われてきましたが、2009年に「インフォグラム」と「アタリ」の二重ブランドによる混乱を解消するため、アタリ (Atari SA) へと改称。ここに会社としてのアタリが復活することになりました。

Atari Video Games(英語ページ)

しかしその後Atariは経営難に陥り、2013年に破産法適用を申請。親会社である仏Atariから米Atariは独立し、モバイルゲームメーカーとして再建を目指しているようです。


米Atariが破産法適用を申請 独立モバイルゲームメーカーとして再建を目指す - ITmedia ニュース
■関連:ATARI JAGUAR アタリジャガー列伝 その1
■参考:Atari Lynx - Wikipedia
■参考:Atari Jaguar - Wikipedia
■参考:インフォグラム - Wikipedia



『それは「ポン」から始まった アーケードTVゲームの成り立ち』


今回書くに当たってネットをいろいろ調べていたのですが、多くの記事に参考文献として表記されている一冊の本を購入しました。

それは「ポン」から始まった-アーケードTVゲームの成り立ち

業界紙『ゲームマシン』の編集長だった赤木真澄氏が書かれたもので、ゲームの初期のことから非常に興味深く書かれている500ページ以上の分厚い本です。他ではなかなか書いていないアタリのくだりや、他ゲーム業界における会社事情なども、この本にはしっかりと書かれており(特に特許などの係争事件に対してかなり詳しい)、調べる上で非常に参考になるものでした。現在も読み進めている最中だったりします。ゲーム史に興味のある方は是非読んでみてください。


★追記
文中にも出てきた「アタリジャパン」についても書きました。

アタリの日本支社、アタリジャパンはそれからどうなったのか : Timesteps