日本では、いくつもの企業が立ち上がり、そして倒産しています。しかし倒産は必ずしも終わりではなく、民事再生法適用から立ち直るケースも数多くあります。そのため、倒産報道をされたのに今も元気に活動している企業はたくさん存在しています(当然ながらそこから清算に向かった企業も数多くありますが)。
中には何故か倒産、もしくは経営危機のようなニュースを何回か聞いて、その分野に詳しい人じゃなければなんだか今どうなっているのかよくわからない企業というのもあります。そのひとつが映画会社の「にっかつ(日活)」ではないでしょうか。
【本日の千本日活】只今の上映作品は「彷徨う女」w / casek
「にっかつ(日活)」の名前をご存じの方は多いでしょう。特に年配の方には。簡単に歴史を振り返りますと、創立は1912年(大正元年)。昭和初期には経営難と戦時企業統合によって大映に制作部門を吸収されたものの、戦後の1954年(昭和29年)に撮影所を再建したあとは、石原裕次郎などを看板として盛んに映画の発表を行い日活の黄金時代を迎えます。さらにこのあたりでデビューした宍戸錠、浅丘ルリ子などは「日活ニューフェイス」と呼ばれ、長年俳優、女優として活躍することになります。
この当時、俳優女優は原則として映画会社の所属でした。そして、日活は盛んに他社からの俳優、女優の引き抜きを行い映画を作成しようとしていましたが、他の映画会社(松竹、東宝、大映、新東宝、東映)はそれに対抗するため、1953年に「五社協定」を結びます。これは各社専属の監督、俳優の引き抜きを禁止するというもので、各社が所有している人材の引き抜き合戦を防止するためのものでした。ちなみに前述の「日活ニューフェイス」など、新人を発掘していたのは、日活がこの五社協定に対抗する意味合いもあったようです。この協定には1958年に日活も参加して「六社協定」となります(三年後に新東宝の倒産で再び五社協定に)。
しかし、この五社(六社)協定は、結果として俳優、女優や監督の自由な職場選択を妨害する協定にもなってしまいました。そして事実、会社とケンカした俳優、女優は会社を辞めさせられてもこの協定のため他の会社に移籍できず、映画界から干される形となってしまいます。有名なところでは山本富士子、田宮二郎などがその犠牲になります。しかしそれらの俳優は、まだ新興で大きな市場とは言えなかったテレビに活躍の場を移すと、この当時から急激にテレビ市場が成長し、逆に映画産業は斜陽の時代を迎えます。
この当時の状況を調べてみると、今のテレビとその他媒体(ネットなど)との関係と微妙に重なるところがあるなと思ったりもするのです。
そして1960年代後半の映画産業の斜陽は映画会社を直撃し、まず1961年には新東宝が倒産(ただこれは社長のワンマンぶりが倒産に導いたとの要因もあるようですが)。そして日活もそれらの斜陽に加え社内体制の問題から経営が悪化、各地の劇場を売却し、1970年には日比谷の本社ビルを売却することになります。
そこで1971年に、それまでの路線から制作費がかからず一定の収入が望める「日活ロマンポルノ」路線へと切り替わります。これは当時にしてみればかなりの驚きだったようです。喩えればコンシューマでやっていた会社がいきなりエロゲー会社になったような衝撃でしょうか(ちょっと違うか)。
ただ、ここから周防正行、滝田洋二郎、森田芳光といった、現代日本の代表的な監督をデビュー、育成する場所となったために、十分異議のある場だったと思われます。
しかし、1982年代後半からのビデオ及びアダルトビデオの普及で、このような映画も衰退期を迎えます。そして「ロッポニカ」レーベル、CSのチャンネルNECO設立などを行いますが、それもうまくいかず、バブル崩壊後の1990年代には経営はさらに悪化してゆきます。
そして、1993年、とうとう会社更生法の適用を申請し倒産。しかしここで経営を支援する企業が現れました。それはゲーム会社のナムコ(現バンダイナムコゲームス)。そして中村雅哉会長がナムコ会長と兼任します。
■日活再建を早めたナムコが「映像都市」構想 - ニュース - nikkei BPnet ※リンク切れ
■参考:日活、ナムコのゲーム「太鼓の達人」をクレイアニメ化
しかし、2000年代になると、今度はゲーム産業のほうに変化が生じ統合が進みます。そしてナムコもバンダイとの経営統合となり(2005年9月30日統合)、それに伴ってかナムコも日活をUSENへ売却を検討。しかしこれは失敗し、その後インデックスがナムコ保有の日活株式を取得し、インデックスグループ傘下の子会社となります。おそらくこの辺りのニュースで、日活がどうなったかわからなくなっている人が多いのではないでしょうか。
■USEN、ナムコに日活の株式譲渡の白紙撤回を申し入れ
■ITmediaニュース:インデックス、日活を買収
その後、2009年、日本テレビがインデックス・ホールディングスから同社保有株式の34.00%の譲渡を受け取得、現在も筆頭株主となっているようです。
■日本テレビ、日活の株式34%を約24億円で取得へ
※2014/12/22追記
そのインデックスも2014年7月31日に破産決定。栄枯盛衰。
そして現在でも日活は活動しています。最近では『デスノート』や『ヤッターマン』(実写版)の制作に携わっているようです。 また、映画制作の他、映画館やシネマコンプレックスの経営、それと日活芸術学院の運営、前述のチャンネルNECOなど局の運営も行っているとのこと。
■日活
かつて日活同様トップクラスの映画会社として有名だった大映は、徳間書店参加を経て、今は角川書店の角川映画株式会社となっていて、こちらも今も活動しています。東映、東宝、松竹は言うまでもなく続いていますね。
■角川映画
映画を視聴する形は昭和の時代からだいぶ変わってしまいましたが、コンテンツはいつの時代にも不滅だと思いますので、きっと映画や日活も形を変えても生き続けるのではないかと思います。
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参考
■日活 - Wikipedia
■日活ロマンポルノ - Wikipedia
■五社協定 - Wikipedia
中には何故か倒産、もしくは経営危機のようなニュースを何回か聞いて、その分野に詳しい人じゃなければなんだか今どうなっているのかよくわからない企業というのもあります。そのひとつが映画会社の「にっかつ(日活)」ではないでしょうか。
【本日の千本日活】只今の上映作品は「彷徨う女」w / casek
映画会社の名門、日活
「にっかつ(日活)」の名前をご存じの方は多いでしょう。特に年配の方には。簡単に歴史を振り返りますと、創立は1912年(大正元年)。昭和初期には経営難と戦時企業統合によって大映に制作部門を吸収されたものの、戦後の1954年(昭和29年)に撮影所を再建したあとは、石原裕次郎などを看板として盛んに映画の発表を行い日活の黄金時代を迎えます。さらにこのあたりでデビューした宍戸錠、浅丘ルリ子などは「日活ニューフェイス」と呼ばれ、長年俳優、女優として活躍することになります。
五社協定と映画の斜陽
この当時、俳優女優は原則として映画会社の所属でした。そして、日活は盛んに他社からの俳優、女優の引き抜きを行い映画を作成しようとしていましたが、他の映画会社(松竹、東宝、大映、新東宝、東映)はそれに対抗するため、1953年に「五社協定」を結びます。これは各社専属の監督、俳優の引き抜きを禁止するというもので、各社が所有している人材の引き抜き合戦を防止するためのものでした。ちなみに前述の「日活ニューフェイス」など、新人を発掘していたのは、日活がこの五社協定に対抗する意味合いもあったようです。この協定には1958年に日活も参加して「六社協定」となります(三年後に新東宝の倒産で再び五社協定に)。
しかし、この五社(六社)協定は、結果として俳優、女優や監督の自由な職場選択を妨害する協定にもなってしまいました。そして事実、会社とケンカした俳優、女優は会社を辞めさせられてもこの協定のため他の会社に移籍できず、映画界から干される形となってしまいます。有名なところでは山本富士子、田宮二郎などがその犠牲になります。しかしそれらの俳優は、まだ新興で大きな市場とは言えなかったテレビに活躍の場を移すと、この当時から急激にテレビ市場が成長し、逆に映画産業は斜陽の時代を迎えます。
この当時の状況を調べてみると、今のテレビとその他媒体(ネットなど)との関係と微妙に重なるところがあるなと思ったりもするのです。
日活ロマンポルノ時代
そして1960年代後半の映画産業の斜陽は映画会社を直撃し、まず1961年には新東宝が倒産(ただこれは社長のワンマンぶりが倒産に導いたとの要因もあるようですが)。そして日活もそれらの斜陽に加え社内体制の問題から経営が悪化、各地の劇場を売却し、1970年には日比谷の本社ビルを売却することになります。
そこで1971年に、それまでの路線から制作費がかからず一定の収入が望める「日活ロマンポルノ」路線へと切り替わります。これは当時にしてみればかなりの驚きだったようです。喩えればコンシューマでやっていた会社がいきなりエロゲー会社になったような衝撃でしょうか(ちょっと違うか)。
ただ、ここから周防正行、滝田洋二郎、森田芳光といった、現代日本の代表的な監督をデビュー、育成する場所となったために、十分異議のある場だったと思われます。
しかし、1982年代後半からのビデオ及びアダルトビデオの普及で、このような映画も衰退期を迎えます。そして「ロッポニカ」レーベル、CSのチャンネルNECO設立などを行いますが、それもうまくいかず、バブル崩壊後の1990年代には経営はさらに悪化してゆきます。
倒産、そして経営母体の変更
そして、1993年、とうとう会社更生法の適用を申請し倒産。しかしここで経営を支援する企業が現れました。それはゲーム会社のナムコ(現バンダイナムコゲームス)。そして中村雅哉会長がナムコ会長と兼任します。
■日活再建を早めたナムコが「映像都市」構想 - ニュース - nikkei BPnet ※リンク切れ
■参考:日活、ナムコのゲーム「太鼓の達人」をクレイアニメ化
しかし、2000年代になると、今度はゲーム産業のほうに変化が生じ統合が進みます。そしてナムコもバンダイとの経営統合となり(2005年9月30日統合)、それに伴ってかナムコも日活をUSENへ売却を検討。しかしこれは失敗し、その後インデックスがナムコ保有の日活株式を取得し、インデックスグループ傘下の子会社となります。おそらくこの辺りのニュースで、日活がどうなったかわからなくなっている人が多いのではないでしょうか。
■USEN、ナムコに日活の株式譲渡の白紙撤回を申し入れ
■ITmediaニュース:インデックス、日活を買収
その後、2009年、日本テレビがインデックス・ホールディングスから同社保有株式の34.00%の譲渡を受け取得、現在も筆頭株主となっているようです。
■日本テレビ、日活の株式34%を約24億円で取得へ
※2014/12/22追記
そのインデックスも2014年7月31日に破産決定。栄枯盛衰。
現在も映画会社として活動中
そして現在でも日活は活動しています。最近では『デスノート』や『ヤッターマン』(実写版)の制作に携わっているようです。 また、映画制作の他、映画館やシネマコンプレックスの経営、それと日活芸術学院の運営、前述のチャンネルNECOなど局の運営も行っているとのこと。
■日活
かつて日活同様トップクラスの映画会社として有名だった大映は、徳間書店参加を経て、今は角川書店の角川映画株式会社となっていて、こちらも今も活動しています。東映、東宝、松竹は言うまでもなく続いていますね。
■角川映画
映画を視聴する形は昭和の時代からだいぶ変わってしまいましたが、コンテンツはいつの時代にも不滅だと思いますので、きっと映画や日活も形を変えても生き続けるのではないかと思います。
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参考
■日活 - Wikipedia
■日活ロマンポルノ - Wikipedia
■五社協定 - Wikipedia