昭和50年代生まれの私にとって、今まで社会的に一番印象に残っている年はいつか、と聞かれれば、1995年と2011年と答えるでしょう。2011年は東日本大震災があったので言うまでもないですが、1995年は1月17日の阪神淡路大震災、そして3月20日の地下鉄サリン事件から始まる一連のオウム事件があったからです。この年はこれらのことを目や耳にしない日はないくらいでした。今思っても日本が独特の雰囲気に包まれていたような年だったと思います。
私は当時学生でしたが、おそらくこんな衝撃的な出来事が起こる年は一生のうちでまたあるかと思う位でした(2001年9月の新宿ビル火災と911にもさすがに驚いたけど)。

当時はまだインターネットやケータイは全然普及していない時代ですので、主な情報入手先はテレビや新聞でした。今考えてみれば、ここが日本人が一番多くテレビに集中した最後の時だったのかもしれないです。連日オウムの報道がなされていて、そこでよく使われた言葉は子供でさえ覚えているくらいでした。当時バイトに行った子供のイベントで、小学生が「ああ言えば上佑」とかオウムの歌を歌っていたのには、そこまで影響してたんだと妙な関心をしたものです(当時小学生だった人は今は20代くらいでしょう)。

そんな中、それまでは日本人の多くの人が知らなかったのに一気に知れ渡った単語と地名があります。それが「サティアン」と「上九一色村」。
Mt. Fuji
Mt. Fuji / Hyougushi


オウム真理教の拠点


この「サティアン」という単語、30歳以上の人なら覚えている人も多いでしょう。
簡単に言えばオウム真理教の施設名。地下鉄サリン事件以後はそこへの捜査の模様、そしてそこでわかったことなどが連日報道されました。特に有名なのは、サリンを製造していたと言われる第七サティアンですね。
ここを舞台に様々な捜査が行われましたが、捜査員がものものしい毒ガス対策装備をしながら施設に入ってゆくシーン等も繰り返し流され、強く印象に残りました。
このサティアンがあった山梨県の村、上九一色村も一気に知名度が広まってしまいました。もともとここには1989年からオウム真理教が施設を建て始めて、ごく一部では「ここで共同生活をしている」とか「パソコンを組み立てている」程度には知られていましたが、この1995年で一気に注目されたと言えます。ちなみに事件の前にここのネタで「ホトトギス神秘教」というギャグをしたマンガがあったのですが、あれは事件後に読んでびっくりした記憶があります。

その後、一連の捜査が終わり人がいなくなると、ここは興味のある人の観光名所として、実際に行ってみる人がそれなりにいたそうです。しかし翌1996年には、そのサティアンの大半が取り壊されてしまいました(サリンプラントであった第七サティアンだけ捜査のためにしばらく残され、後に取り壊されました)。
さて、その上九一色村ですが、この一連のオウム騒ぎによって本来の村民自体はオウムと殆ど関わりがなかったにもかかわらず、ネガティブなイメージがついてしまったために、その名誉回復に悩まされることになります。


富士ガリバー王国建設


そんな折、1997年に村のイメージ回復のために、同村のサティアン跡地から数キロ離れたところにテーマパーク「富士ガリバー王国」が設立されます。名前の通り、ガリバーが横たわっていたりする欧風のテーマパークで、最初の頃は話題になった上九一色村でテーマパークが出来たということで、何度かニュースで紹介されていた記憶があります。ちなみに隣接地にはゴルフ場やホテルも建設されました。

しかしその矢先、1999年に運営会社のメインバンク、新潟中央銀行が経営破綻になり、その煽りを受けます。加えて来場者数も伸び悩みます。理由としては長引く不況のせい、そしてかつてのイメージがぬぐえなかったせいもあるかもしれませんが、それよりも交通アクセスの悪さがあると思います。いや、ここ車以外での到達が非常に難しいのですよね。鉄道から遠いし。自分もちょっと仕事に暇が出来たので、実際に跡地のいけるところに行って(廃墟でも管理下にある施設に入ったら不法侵入となるのでたいていは外側からくらいしか無理)様子を見てこようかなとは思ったのですが、ここ、鉄道で到達するのが困難なので、車のない私は断念しましたし。

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富士ガリバー王国閉鎖、そしてザ・ドッグランオープン


そして2001年10月28日、閉鎖となります。ちなみにその後、跡地は心霊スポットとして一部で有名になったようです。
その後2002年にタカギリゾートがこの土地を買収します。
そしてその後、この土地に愛犬家が犬と遊ぶための施設『ザ・ドッグラン』が2004年08月にオープンします。


更地に


しかし、やはり交通の便が悪かったのが大きいのか、2005年には営業を休止(ちなみに、この当時日本各地でテーマパークが閉鎖しています)。その後2006年には不動産大手のアーバンコーポレイションが買収します。そして2007年には既存の構造物全般を解体し更地になったようです。しかし、アーバンコーポレイションは2008年8月13日に経営破綻してしまいます(現在は既に精算済)。

■参考:富士ガリバー王国 - Wikipedia


名前が消えた上九一色村


実は現在ではこの地域の名前も変わっているのです。

平成10年代に頻繁に行われた「平成の大合併」において、この上九一色村も他の市町村と合併することになったのですが、そこでちょっと変わった現象が起きます。ここには南側に精進と本栖と富士ヶ嶺、北側の山峡には梯と古関の各地区があったのですが、それら南北の関係性は交通の都合上などで薄く、生活圏がほとんど分離していたようです。
故に、いろいろな協議がありながら、合併時には北部は甲府市などと、南部は河口湖町などとの合併を行うこととなり、2006年3月に上九一色村北部は甲府市・中道町と、南部は富士河口湖町(河口湖町、勝山村、足和田村が合併した名前)との合併が行わる形となりました。これによって「上九一色村」の名前はなくなりました。

麻原被告逮捕から10年 上九一色村消滅 - nikkansports.com > 社会ニュース
■参考:livedoor ニュース - [特集]オウムの幻影を追って(1)
■参考:上九一色村 - Wikipedia


これからどうなるか


今ははどのようになっているでしょうか。
まず、前述したガリバー園跡地に隣接しているホテル及びゴルフ場は健在です。

富士クラシック|富士山の麓、雄大なゴルフ場 山梨

そして、サティアンがあった跡地ですが、現在は「富士ケ嶺公園」という名前の、散策が楽しめる自然公園として整備されたようです。
その一角には、信者リンチ殺人の現場となった犠牲者のための慰霊碑が建てられているということ。

■ 富士ケ嶺公園 (富士河口湖町) 散策楽しめる場に“再生”

もう少し離れた本栖ハイランドなどオフロードコースがあり、そっちが趣味な人には人気があるみたいです。また、本栖湖方面には高速バスが走っており、山の中でのキャンプやリゾート客も訪れているとのこと。


あと何十年後かには、この甲府のあたりに中央新幹線(リニアモーターカー)の駅が出来て、東京から数分で来られる地域になります。その時、もしくはその時までにはここはまた事件と関係なく注目される土地となるでしょうか。