今、書店でマンガを買おうとすると、一般向けとは別に「成人コミック」というマークがついているものがあり、棚が隔離してある場合があります。このマークは1990年過ぎくらいからつけられ始め、1996年にある程度の形が統一されたようです。このマークについては以下に書きましたので、興味があればご覧下さい。

■関連:コミックの自主規制マークについて考えてみる | 空気を読まずにマンガを読む

さて、これがつけられるようになったきっかけは、1990年代過ぎに起こった「有害コミック運動」というものから。20代後半以降の方は覚えていらっしゃる方もいるかもしれません。あの運動は今では考えられないかもしれませんが、本当にちょっとでも裸の出てくるマンガはなくなるのではないかと当時まだ成年コミックを見ていなかった歳の自分でも思ったりするくらいの勢いでした。

というわけで、その運動、及び規制に対する反対運動がどうなったのか、ということについて、書いてみようと思います。

姫路駅地下街 私は白いポストです
姫路駅地下街 私は白いポストです / fukapon



M事件からの動き


『有害コミック運動』の流れというのが急速になったのは、1988~1989年に起きた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件、通称M事件(犯人の名前から)の発生があるでしょう。
ちょうどこの時期、埼玉にそんな遠くない東京に住んでいた私は、学校や家庭含め警戒態勢に入っていたのを覚えています。それほどインパクトがあり、痛ましい事件でした。

そして、この犯人がビデオやマンガを多く所持していたことから、ここに報道がクローズアップされることとなります。正確に言えば運動が加速したのはこの事件というよりは、この事件による数々の報道と言ったほうが正しいかもしれません。ただ、その中には事実に基づかずに偏見的な先入観でなされた報道も多いと聞かれます。ただ、事件のインパクトと報道の大きさ、さらに当時オタクがかなりマイノリティーであったためにそれがこのまま受け入れられ、いわゆるオタクバッシング的な動きに繋がります。
よくネット上で言われるのは、コミケに来たリポーターが「ここに10万人の宮崎努がいます」と言ったという話がありますが、これは半ば都市伝説化していて、本当に言ったか、言ったとして誰が言ったかなどの確認できていません(東海林のり子という説があるが、これはイメージ先行で根拠も無く、且つ本人も否定しておりデマの可能性が非常に濃厚)。ただ、そう言われるくらいマスコミなどでもオタクに対する風当たりが強くなっていたというのは事実でしょう。

■参考:ここに10万人の宮崎勤がいます 都市伝説 - 色々威


コミック規制運動始まる


さて、自主的か、それとも報道に影響されたか、この動きはマンガにも広まってゆきます。

犯人逮捕から1年くらいが経った1990年9月上旬、和歌山県田辺市の「コミック本から子供を守る会」という組織が、規制を求める運動を展開。ここから各地のPTAなどでコミック本規制運動の波が広まってゆきます

そして翌年1991年の春にかけて、それらの運動は激しい盛り上がりを見せ、出版社などには苦情が相次ぎました。そこでこれらの会社は「成年コミックマーク」の表示とその策定基準の作成などに追われることになります。

同時に各自治体では、これらコミックの有害指定運動が盛んになります。ここで有害と指定されたものは今で言う成年コミック的なものだけではなく、大出版社(小学館、集英社、講談社など)から出されているものも対象になりました。それも少年誌から青年誌まで幅広く。ジャンプやマガジンに連載されているものまで対象となりました。また、永井豪氏、ジョージ秋山氏といった大御所のマンガまでもが対象となりました。

この頃の大まかな流れは、以下のページにあります(それ以前、以後の規制についても触れられています)。

■(archive)日本でのマンガ表現規制略史


出版社の自粛


そして、連載作で指定されたものは、どんどんと連載が終わってゆきました。

最初のリンク先でも書いたのですが、これら有害と指定されたものの単行本は、大出版社からは廃刊となり、裁断されてしまった例がほとんどだったようです。また、そこまでにはならなくても次の増刷分から修正を余儀なくされた作品もありました。大出版社でも例外的に講談社の少年向けではないものには「成年コミック」のマーク付きで発刊されました(それで救われたのが安達哲氏の名作『さくらの唄』など)。

さらに既存のコミックの性的描写も自主規制という形でかなりなくなった感じでした。当時私はまだオタクでもないマンガを読む中学生くらいでしたが、その急激な変化に妙な違和感と「何かが起こっている」というような感覚を受けた記憶があります。

幸い時代が変わり1990年代後半になると、そこで廃刊となったものも復刊され始めました(遊人『ANGEL』、上村純子『いけないルナ先生』等)。


曖昧な「有害」の基準


しかし、これらの「有害」基準はかなり厳しいというか妙なものであり、議論となりました。例えば版画的な絵の『百八の恋』という作品は主人公の自由さを出す意味で裸にはなるのですが、欲情を目的としているとは思えません。それなのに指定を食らったりしました。さらにジョージ秋山氏の『ラブリン・モンロー』という作品は、ある戦争下の国の娼婦の物語なのですが、なんと全キャラは全部動物の擬人化描写。たしかに娼婦ものなので交尾はありますが、なんというか動物の交尾にまで指定をかけてしまったということになります。

■参考:有害コミック規制の波に巻き込まれた『百八の恋』と『ラブリン・モンロー』 - 空気を読まない中杜カズサ

とにかく、もう裸が出ているとダメ、という雰囲気だったのですね。  おそらく当時の基準からすると『To Loveる』だったらおそらく指定されていた様な気がします(実際指定された『いけないルナ先生』あたりのエロ度もそのくらいだし)。実際、桂正和氏の代表作でもある『電影少女』も有害指定を一部自治体から受け、修正して発刊することになりました。


パソコンソフトにも押し寄せる規制


この一連の流れの影響は、当時まだ市場が小さかったパソコンソフトにも影響してゆきます。
1991年11月、京都府警察本部はパソコンゲームソフトを製作する会社を「わいせつ文書図画頒布」容疑で捜索します。
その後、1992年7月、宮崎県で全国初のパソコンゲームソフトの有害指定を受けますが、その中にはガイナックスの発売した『電脳学園』も指定され、後に取り消しの行政訴訟へと発展します。

これらの流れが、後のコンピュータソフトウェア倫理機構の設立へと繋がってゆきます。


規制反対運動


しかし、尚も運動は激化し、まるでそのままお上推薦のもの以外のマンガはなくなる勢いにまで発展するところでした。大げさではなく。まだ子供と言える年齢だった自分でそう感じたのですから、リアルタイムでこれを見ていた人は本気でそう思っていたかもしれません。

そんな激しい規制運動の動きの中、各地の弁護士会、出版労連、そして日本ペンクラブなど作家の団体は、これらの規制運動に各立場から疑問を呈し、反対の声が上がり始めます。その動きの一つが、1991年結成された「『有害』コミック問題を考える会」。ここでは条例強化反対を掲げ、集会が行われ、多数のマンガ関係者が参加したとのこと。


『コミック表現の自由を守る会』結成


さらに1992年3月、マンガ家や作家、書店主など出版に関係する人達を中心として「コミック表現の自由を守る会」が旗揚げされます。発起人は石ノ森章太郎、さいとう・たかを、ちばてつやといったコミック会大御所の面々。

ちなみにこのあたりで、発起人のひとりである山本直樹氏の「Blue」が都条例で「不健全」指定され、廃刊になります。これは性描写やドラッグを含むものの青春群像的なもので、この作品が有害論争のひとつの中心となります。

そして、雑誌やメディアなどでは、これらの有害問題や法規制についての議論が巻き起こります。


その後、規制運動はやや下火に


しかし1990年の半ばにさしかかると、さすがに時間が経ってやや冷静な議論や思考が行われる様になったのと、「成年コミック」マークが機能して、ゾーニングが出来る様になったためか、それまでの激しい規制の波はだんだんと影を潜めてゆくようになり、マンガ雑誌にも次第とそれらしき描写が復活してゆきます。

「『有害』コミック問題を考える会」は「マンガ防衛同盟」と改称後、2001年には「発展的解消」を遂げており、その活動は「NGO-AMI」へと継承されているとのこと。

そして『コミック表現の自由を守る会』についてもおそらく活動は無い模様。代表の石ノ森氏も1998年に亡くなりました。

※2014/12/24追記
2009年に起きた非実在条例(東京都青少年育成条例改正問題)において、コミック表現の自由を守る会で理事を務めていたちばてつや氏などのマンガなどが再び共同で反対の声明を発表しました。

ちなみに「NGO-AMI」も2012年解散。現在その活動はコンテンツ文化研究会やAFEE エンターテイメント表現の自由の会に継承されているとのこと。


これらが遺したものは何だったのか


さて、これらは何だったのか、というのは様々な考え方があるでしょう。ただ、ゾーニングを残したのはプラスだったかもしれませんが、多くの負の遺産も遺してしまったかもしれません。こういった成年的な描写に対して、個人的には子供に見せるのには困るものもあるのでゾーニングはやむを得ない思う面もあるのですが、そのゾーニングなど基準というものの信用性をあの過激な運動で表現側が全く信じられなくしてしまったのは大きいのではないかと。なんというかゾーニングを盾にして大人が見る表現媒体全体を規制する動きに繋がるのではないかという感じで。

現在でもコミックなど規制の動きが出てくると非常にピリピリするのは、あの時の過剰な悪夢が記憶に蘇る人も多いのではないかと。最近児童ポルノ法改正の議論が交わされますが、これに反対意見が多いのは実際に被害を受けている人を軽視しているのではなく、一度でも認めてしまうと段階的にこの時の激しい規制がそのまま、いやそれ以上に行われるのではないかと思っている人が多いのではないかとも思えます(つか、この問題も非常に複雑なので、表現の自由だけでは語れない側面も多いのですが長くなるのでそれはまたの機会に)。実際、その当時の規制推進派が現在政治家として有力な地位にいる例は多いとのことなので(これは党を問わずに)。

ちなみに今回調べてみたら、以下の様なエントリーもありました。本当かどうかは詳しく調べていないのでわかりませんがご参考に。

90-91年の「有害コミック」撲滅運動と、宗教右翼 - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記
「有害コミック」撲滅運動の歴史と背景/田辺市/痛みを想像するとい - kitanoのアレ


時代により基準は変わる


ちなみにこの1990年あたりの有害コミック騒動の前も、1970年代にはジョージ秋山の『アシュラ』『銭ゲバ』、それに永井豪の『ハレンチ学園』などが批判を受け、追放運動まで起こりました。しかし現在、『銭ゲバ』はドラマ化され、永井豪氏は記念館が設立されるようです。

また、1980年代にはマンガの神様と言われた手塚治虫が、『ジャングル大帝』などの黒人描写で批判を受けたのも有名です。そして前述の様に、当時有害コミック指定を喰らったものでも、現在では名作と言われているものもわりとあります。

このように時代によって基準は変わるものであり、故に表現を萎縮させる可能性のある規制は、文化全体の衰退に繋がりかねないので、こういうものはその社会状況と照らしあわせて十分双方の議論を重ね、慎重を期さなければならないでしょう。


■参考:有害コミック/ 同人用語の基礎知識/ ポルノコミック
■参考:阿部定事件無限回廊 endless loopさん)
※下の方の「『愛のコリーダ』摘発事件」。ここで東京地裁は「わいせつの基準は社会通念の変遷によって変わる」とした。

今、あの1990年代あたりに小中学生だった人は、今は20代後半から30代になっています。その時のことをどう思っているでしょうか。  また、現在規制が行われたとして、そのことは数十年後、どのように受け取られているでしょうか。


※2014/12/24追記
ここ数年、なんか表現規制の動きがまた盛り上がってきているように感じます。先日改正された児童ポルノ法にも、一時期表現物を盛り込もうとする動きが盛んになっていました。
また、自治体単位でも表現規制の動きがあります。

非実在条例(東京都青少年育成条例改正問題)はそれからどうなったのか【前編】 : Timesteps
非実在条例(東京都青少年育成条例改正問題)はそれからどうなったのか【後編】 : Timesteps


常にこの手の表現規制の動きは存在していて消えることもないので、常に注目し続ける必要があるでしょう。


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参考
モラル・パニック - Wikipedia
沙織事件 - Wikipedia
電脳学園 - Wikipedia
有害コミック騒動 - Wikipedia


参考文献
・『誌外戦 コミック規制をめぐるバトルトイヤル』コミック表現の自由を守る会(創出版)
・『有害コミック問題を考える』(創出版)