今でこそインターネット・サービスプロバイダ(以下ISP)はYahoo!BB、OCN、ODN、@niftyやBIGLOBEといった大会社やその会社と資本関係にあるところ、もしくは通信会社の系列がほとんどを占めるようになってしまいましたが、90年代のインターネット発展期にはまだまだ独立系、もしくは出資だけ受けていて独立系に近かったISPというのは非常に数多く存在しました。
では、それらのISPがどうなったのか、それらISPの歴史を追いつつ見てみましょう。
※このエントリーは、2015/1/10に加筆修正しました。
Wireless Router and Cable Modem / fuzzcat
国内において、それまで隆盛を誇っていたニフティサーブやPC-VANといったパソコン通信の陰からインターネットの芽生えが始まったのは、1990年代前半~中盤。その折、少数のISPが生まれます。
日本最初の商用ISPは1992年設立のAT&T Jens、そしてIIJが日本企業初の商用ISPとしてサービスを開始します。それに続いて、ニフティやPC-VANの運営元であるNECもISP事業を開始し、日本におけるインターネットが芽生え始めます。ただ、当時はまだまだパソコン通信が主流で、インターネットはコンテンツ的にも少なく、参加者も少ないものでした。
しかし、Windows95が発売、それが後にインターネットへの対応を強化することにより、インターネット普及の土台が生まれ始めます。
そしてそのインターネット普及の流れを見越して、大手通信会社やメーカーに属さない独立系のISPというのが1990年代中盤当たりから誕生し始めます。その先駆けとなったのが、1994年に設立されたベッコアメ・インターネット。
1994年12月に設立されたこの会社は、その後インターネットが普及してくるとメーカー系とは違う存在感で加入者を増やしてゆきます。ちなみに1996年にはユーザーがわいせつ図画公然陳列容疑で、そのユーザーのサーバスペースを持っていたここが国内で初めて強制捜査を受けるということにもなっています。今ではそれだけで強制捜査とは考えられないことですが、当時は全くと言っていいほど前例がなかったが故のことでした。
そしてWin95が爆発的な広まりを見せ、インターネット普及の土台が出来てくると、メーカー系、独立系問わず多くのISPが誕生してきます。独立系で主なところは上記のベッコアメ・インターネットの他にリムネット、インターネットWIN、ドルフィンインターネット等がありました。
余談ですが1990年代後半のISPの宣伝攻勢はすさまじく、正直ウザイくらいでした。パソコンを買えば必ずそのパソコンを販売したメーカー系列のISPでの契約アプリがプリインストールされていましたし(これが初心者の頃だとそのままよくわからないまま入ってしまう)、パソコン系の店に行けばセットアップCDがついてきたり、パソコン系雑誌には収録CD内にそのセットアップアプリが入っていたり。
ちなみにこれは日本だけではなく、アメリカでも当時隆盛を誇っていたAOLがあまりにもCDを配りまくるので、「CDをAOLに送り返そう」なんてキャンペーンが展開されていたらしいです。
日本で特に多かったのは、Q2サービスを利用していたインターQだったような。どの雑誌の付録CDでも絶対入ってましたしね。
ここまで宣伝攻勢が激しかったのは理由があり、ここで契約を結べば月額使用料として収入が確保されますが、ここで契約が少なければそのまま収益が悪化して潰れてしまうという流れだったので、初期ユーザー獲得に必死だったのです。しかもこの当時のISP料金は電話代、NTTへの代金含まずで月額2000円以上というのが一般的であり、且つ従量制によりそれ以上のお金がかかる場合もわりとあったので、かなり一人当たりの収益もよかったことが予想されます。
ちなみにこの宣伝攻勢は2000年を過ぎるとADSLに、そして現在では光回線で同じことが繰り返されているような。
この頃のプロバイダには、もうひとつ特徴的なものがありました。それが無料プロバイダ。それは基本接続料を無料にして、ユーザーを獲得するという方法。有名なところではオン・ザ・エッヂに買収される前のライブドアや、プロバイダーZEROなどがありました。ビジネスモデルとしては、広告による収入や基本接続料以外での収入を見込んでいたようです。
その後どうなったかは、以前書いたこちらをご参照ください。
■劇的なCMで有名になったプロバイダーZEROはどうなったのか : Timesteps
こういうもの含めいろいろなベンチャー企業が数多く出てきて、「ITバブル」とか「ビットバレー」なんて用語が使われるようになったのでしょう。
しかしながら、2000年代に入るとADSLやCATVが急速に普及してきます。これらは通信スピードが速いだけではなく「常時接続」と「定額」がそれまでの電話回線におけるサービスよりもはるかに魅力的だったためにADSLへの移行がすさまじい勢いで進みました(それまでも定額プランというものは一応存在したが制限が多く高かった)。それはNTTが普及させようとしてきたISDNを一気に飛び越すくらい。
しかもYahoo!BBの登場あたりから低価格競争が始まり、ISPもそれに晒されてひとりから取れる金が少なくなってゆきます。
すると大手は薄利多売でなんとかなるとしても、小中のプロバイダがそれに負け、どんどん淘汰されてゆきます。
そして2000年代半ばにさしかかり、ITバブルと言われたものが崩壊した時、それら独立系を含めた中小のISPは再編成の波にさらされます。そして経営統合、事業譲渡のほか、ISP事業を縮小し、ホスティングサービスに転化する企業も多くありました。下にその時代あったISPがその後どうなったかの一例を記します。
2004年4月、個人向けインターネット接続サービスなどの営業権をGMOインターネット株式会社(後述)に譲渡。
会社自体は存続し、現在はホスティングなど法人向け事業に特化。
■ベッコアメ・インターネット - Wikipedia
1998年8月、米PSINet社に買収。その後、2001年1月、米Inter.net(インタードットネット)グループの一員になり、社名をインタードットネット株式会社に変更。その後いろいろあって、2004年3月 株式会社イージェーワークス(ピーシーデポコーポレーショングループ)に買収される。
UUCPによる接続サービスを国内で最後まで提供していたが、2007年10月12日に廃止。
■参考:リムネット - Wikipedia
2001年 、グローバルメディアオンライン株式会社(GMO)へ商号変更。現在も存続し、お名前.comなどを運営。そして前述のベッコアメやプロバイダーZEROの事業などを買収。
インターキュー同様ダイヤルQ2利用のISP。2001年頃にサービスを終了。現在事実上の倒産。
■参考:ゼンエーフーズ - Wikipedia
2001年にアクセスプロバイダ事業は撤退。
かつてはマックユーザー専用のインターネットプロバイダとして一部で有名だったが、2009年にセキュリティ強化の費用という名目で、会員に周知しないままほとんど勝手に一人2万円をクレジットから引き落とすという事態を起こし、炎上する。現在でも存在するが、レンタルサーバー事業やドメイン管理事業が主。
■「LinkClub」を運営するカイクリエイツ、会員に無断で「セキュリティ強化費」計2億円を徴収 | スラッシュドット・ジャパン IT
ビックカメラ系列のISP(ビックカメラに行く度にかなり宣伝していたので今でも名前を覚え出せた)。2000年8月くらいにOCNに移行。
ドリームキャスト登場とともに、ドリキャス用プロバイダとして存在したもの。しかしドリキャス撤退後、PC用ISPに転換。その後DTIに事業譲渡。
民事再生手続きのあと、2013年1月1日をもって、株式会社ドリーム・トレイン・インターネットが提供する『ユビキタスプロバイダ DTI』へと統合。
90年代東京都の多摩地区で有名だったプロバイダ。現在も営業中。プロバイダメールにしてはドメインが短いのでメアドに好んで使う人がいる。
■ドルフィンインターネット[ DOLPHIN internet ]
こう見ると、結果としてバックに大手の会社がなかったところはなくなっているか、目立たなくなってきていますね。まあ、残念ながらISPってのは価格と速度以外に特色を出しにくいので、どうしても安く安定しているところに行ってしまうでしょう。
現在あるISP以外の様々なインターネットサービスも、そのうち淘汰の波にさらされてしまうものはたくさんあるでしょうね。
では、それらのISPがどうなったのか、それらISPの歴史を追いつつ見てみましょう。
※このエントリーは、2015/1/10に加筆修正しました。

Wireless Router and Cable Modem / fuzzcat
日本のインターネットにおけるISP事業の誕生
国内において、それまで隆盛を誇っていたニフティサーブやPC-VANといったパソコン通信の陰からインターネットの芽生えが始まったのは、1990年代前半~中盤。その折、少数のISPが生まれます。
日本最初の商用ISPは1992年設立のAT&T Jens、そしてIIJが日本企業初の商用ISPとしてサービスを開始します。それに続いて、ニフティやPC-VANの運営元であるNECもISP事業を開始し、日本におけるインターネットが芽生え始めます。ただ、当時はまだまだパソコン通信が主流で、インターネットはコンテンツ的にも少なく、参加者も少ないものでした。
しかし、Windows95が発売、それが後にインターネットへの対応を強化することにより、インターネット普及の土台が生まれ始めます。
独立系ISPの誕生
そしてそのインターネット普及の流れを見越して、大手通信会社やメーカーに属さない独立系のISPというのが1990年代中盤当たりから誕生し始めます。その先駆けとなったのが、1994年に設立されたベッコアメ・インターネット。
1994年12月に設立されたこの会社は、その後インターネットが普及してくるとメーカー系とは違う存在感で加入者を増やしてゆきます。ちなみに1996年にはユーザーがわいせつ図画公然陳列容疑で、そのユーザーのサーバスペースを持っていたここが国内で初めて強制捜査を受けるということにもなっています。今ではそれだけで強制捜査とは考えられないことですが、当時は全くと言っていいほど前例がなかったが故のことでした。
そしてWin95が爆発的な広まりを見せ、インターネット普及の土台が出来てくると、メーカー系、独立系問わず多くのISPが誕生してきます。独立系で主なところは上記のベッコアメ・インターネットの他にリムネット、インターネットWIN、ドルフィンインターネット等がありました。
当時のISPの宣伝攻勢
余談ですが1990年代後半のISPの宣伝攻勢はすさまじく、正直ウザイくらいでした。パソコンを買えば必ずそのパソコンを販売したメーカー系列のISPでの契約アプリがプリインストールされていましたし(これが初心者の頃だとそのままよくわからないまま入ってしまう)、パソコン系の店に行けばセットアップCDがついてきたり、パソコン系雑誌には収録CD内にそのセットアップアプリが入っていたり。
ちなみにこれは日本だけではなく、アメリカでも当時隆盛を誇っていたAOLがあまりにもCDを配りまくるので、「CDをAOLに送り返そう」なんてキャンペーンが展開されていたらしいです。
日本で特に多かったのは、Q2サービスを利用していたインターQだったような。どの雑誌の付録CDでも絶対入ってましたしね。
ここまで宣伝攻勢が激しかったのは理由があり、ここで契約を結べば月額使用料として収入が確保されますが、ここで契約が少なければそのまま収益が悪化して潰れてしまうという流れだったので、初期ユーザー獲得に必死だったのです。しかもこの当時のISP料金は電話代、NTTへの代金含まずで月額2000円以上というのが一般的であり、且つ従量制によりそれ以上のお金がかかる場合もわりとあったので、かなり一人当たりの収益もよかったことが予想されます。
ちなみにこの宣伝攻勢は2000年を過ぎるとADSLに、そして現在では光回線で同じことが繰り返されているような。
無料ISPの存在
この頃のプロバイダには、もうひとつ特徴的なものがありました。それが無料プロバイダ。それは基本接続料を無料にして、ユーザーを獲得するという方法。有名なところではオン・ザ・エッヂに買収される前のライブドアや、プロバイダーZEROなどがありました。ビジネスモデルとしては、広告による収入や基本接続料以外での収入を見込んでいたようです。
その後どうなったかは、以前書いたこちらをご参照ください。
■劇的なCMで有名になったプロバイダーZEROはどうなったのか : Timesteps
こういうもの含めいろいろなベンチャー企業が数多く出てきて、「ITバブル」とか「ビットバレー」なんて用語が使われるようになったのでしょう。
ADSLの普及とISPの淘汰
しかしながら、2000年代に入るとADSLやCATVが急速に普及してきます。これらは通信スピードが速いだけではなく「常時接続」と「定額」がそれまでの電話回線におけるサービスよりもはるかに魅力的だったためにADSLへの移行がすさまじい勢いで進みました(それまでも定額プランというものは一応存在したが制限が多く高かった)。それはNTTが普及させようとしてきたISDNを一気に飛び越すくらい。
しかもYahoo!BBの登場あたりから低価格競争が始まり、ISPもそれに晒されてひとりから取れる金が少なくなってゆきます。
すると大手は薄利多売でなんとかなるとしても、小中のプロバイダがそれに負け、どんどん淘汰されてゆきます。
独立系ISPはどうなったか
そして2000年代半ばにさしかかり、ITバブルと言われたものが崩壊した時、それら独立系を含めた中小のISPは再編成の波にさらされます。そして経営統合、事業譲渡のほか、ISP事業を縮小し、ホスティングサービスに転化する企業も多くありました。下にその時代あったISPがその後どうなったかの一例を記します。
ベッコアメ・インターネット
2004年4月、個人向けインターネット接続サービスなどの営業権をGMOインターネット株式会社(後述)に譲渡。
会社自体は存続し、現在はホスティングなど法人向け事業に特化。
■ベッコアメ・インターネット - Wikipedia
リムネット
1998年8月、米PSINet社に買収。その後、2001年1月、米Inter.net(インタードットネット)グループの一員になり、社名をインタードットネット株式会社に変更。その後いろいろあって、2004年3月 株式会社イージェーワークス(ピーシーデポコーポレーショングループ)に買収される。
UUCPによる接続サービスを国内で最後まで提供していたが、2007年10月12日に廃止。
■参考:リムネット - Wikipedia
インターキュー
2001年 、グローバルメディアオンライン株式会社(GMO)へ商号変更。現在も存続し、お名前.comなどを運営。そして前述のベッコアメやプロバイダーZEROの事業などを買収。
ZZZインターネット
インターキュー同様ダイヤルQ2利用のISP。2001年頃にサービスを終了。現在事実上の倒産。
■参考:ゼンエーフーズ - Wikipedia
ワイワイワイネット
2001年にアクセスプロバイダ事業は撤退。
リンククラブ
かつてはマックユーザー専用のインターネットプロバイダとして一部で有名だったが、2009年にセキュリティ強化の費用という名目で、会員に周知しないままほとんど勝手に一人2万円をクレジットから引き落とすという事態を起こし、炎上する。現在でも存在するが、レンタルサーバー事業やドメイン管理事業が主。
■「LinkClub」を運営するカイクリエイツ、会員に無断で「セキュリティ強化費」計2億円を徴収 | スラッシュドット・ジャパン IT
Webnic
ビックカメラ系列のISP(ビックカメラに行く度にかなり宣伝していたので今でも名前を覚え出せた)。2000年8月くらいにOCNに移行。
isao.net
ドリームキャスト登場とともに、ドリキャス用プロバイダとして存在したもの。しかしドリキャス撤退後、PC用ISPに転換。その後DTIに事業譲渡。
アルファインターネット
民事再生手続きのあと、2013年1月1日をもって、株式会社ドリーム・トレイン・インターネットが提供する『ユビキタスプロバイダ DTI』へと統合。
ドルフィンインターネット
90年代東京都の多摩地区で有名だったプロバイダ。現在も営業中。プロバイダメールにしてはドメインが短いのでメアドに好んで使う人がいる。
■ドルフィンインターネット[ DOLPHIN internet ]
次の淘汰の波は
こう見ると、結果としてバックに大手の会社がなかったところはなくなっているか、目立たなくなってきていますね。まあ、残念ながらISPってのは価格と速度以外に特色を出しにくいので、どうしても安く安定しているところに行ってしまうでしょう。
現在あるISP以外の様々なインターネットサービスも、そのうち淘汰の波にさらされてしまうものはたくさんあるでしょうね。