※2014/12/31:加筆修正。
新潟県の関川村にある沼集落。この集落は2000年代中頃、36戸が存在しましたが、あることについて村が文字通り2分され、裁判にまで発展しています。その原因が「村八分」。

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この集落ではお盆にイワナのつかみ取り大会が行われていましたが、2004年春、「準備と後片づけでお盆をゆっくり過ごせない」と村民の一部が不参加を申し出たとのこと。不参加を決めた住民達の理由にはもう一つ、「有力者の1人がイワナ購入にあたって村の補助金を水増し請求している」というのもあったとのこと。つまり必要なイワナを寄付によって取得したにもかかわらず購入したように見せかけ、村から補助金を詐取したということです。つまり立場を利用して利益を得ていたことになります。
この姿勢に集落の有力者は「従わなければ村八分にする」と、その不参加を申し出た11戸に対し、ゴミ収集箱の使用や山での山菜採りなどを禁じました。事実上の村八分行為です。
それに対して村八分にされた側の住人が、有力者3名を相手取り新潟地裁新発田支部に提訴します。それに対して、有力者側も名誉を傷つけられたとして反訴しました。
■参考:Matimulog: news:現代村八分
地裁での判決は、村八分の存在を認めて有力者側に行為の禁止と計220万円の賠償でした。しかし、有力者側は「村八分行為はしていない」と東京高裁に控訴します。
しかしこの頃になると有力者側についた区長が辞任し、集落は区長不在の状態になっていたとのこと。しかし原告住民らは有力者側とのトラブルを避けるため、それまでとは別に新しく作られたゴミ収集箱を使い、旧ゴミ収集箱の使用や山菜採りの入山を自粛していたそうです。
その後東京高裁での判決が2007年10月になされ、一審判決を全面支持。すなわち住民側の勝訴となります。その後調べた限りでは上告はされていない模様。
■「村八分は違法」 東京高裁1審の原告勝訴を支持 - MSN産経ニュース ※リンク切れ
ただ報道によると、『被告男性は「高裁でどのような結果になっても、頭を下げることはない」と話している。 』とあり、今でも謝罪はなされていないのでしょうか。
あと、このようなものも
■参考:村八分で関川村元区長らに賠償命令 - NPO日記
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なんというか、外部から見ても嫌な事件ですね。もし、裁判が終わってから仲直りしていればよいのですが、なんだか上記の態度を見る限り、有力者が同じだと大差ないような気が。
本当はこの後をさらに知りたい方も多いと思われますが、さすがにブログだとこれ以上突っ込めないし、いや、この手の性質のものは報道でも難しそうですが。
調べてみると同様の村八分による裁判が行われていたようです。それは兵庫県の佐用郡佐用町にある水根というところにおいて(最初の記事執筆当時には参考リンクがありましたが、今は消失しています)。
そして一昔前には、静岡県上野村というところで起きたこともあります。
■静岡県上野村村八分事件 - Wikipedia
※2014/12/31追記
そして今調べてみると、この記事を最初に書いた後でも、村八分と見なされる行為が起きているのではないかという報道が聞こえてくることがあります。
たとえば2010年に愛知県豊田市八草町で起きた村八分騒動、2011年に兵庫県加西市で起きた村八分騒動が起きて訴訟に発展しています。そして2014年9月には、宇都宮市にて、住民が自治会を抜けたところ、家の周りの街灯が外されるなどして、従来のサービスが受けられなくなったというトラブルが報じられました。
■“厄介者”のレッテルを貼られて地縁の輪の外へ追放!「理不尽な村八分」の撤回を訴え続ける孤高の陶芸家|相川俊英の地方自治“腰砕け”通信記|ダイヤモンド・オンライン
■神戸新聞NEXT|社会|加西「村八分」訴訟 教育長らの控訴棄却 大阪高裁判決 ※リンク切れ
地域での争いというのは大なり小なりあちこちで起きていると思います。そして当事者間の係争はさまざまなケースがあるので、一概にどちらが悪いとは言えない場合もあります。ただ、権力を盾にとって行政サービスや交流を阻害する行為は判決がそうであるように現代日本で認めるわけにはいかないでしょう。
今、過疎による高齢化が叫ばれていますが、一部の集落ではこういったものが嫌で集落を出て行く人も多いのでしょうね。しかし状況的に出て行けない人もいるのでしょう。それこそ中島みゆきの『ファイト!』にもありましたが、出て行くならお前の家族も住めんようにしちゃる言われて、東京行きの切符を捨てるような感じ。もちろん集落では共同意識が必要な点があるのはわかりますが、それを村八分に繋げていいものか。村八分のように人を傷つける悪習が残るようだったら、そこから人が出て行き、内部から崩壊するのも自然な時代の流れではないかと思うのは、都市部の人間の言い分でしかないのでしょうか。
新潟県の関川村にある沼集落。この集落は2000年代中頃、36戸が存在しましたが、あることについて村が文字通り2分され、裁判にまで発展しています。その原因が「村八分」。

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村八分の開始
この集落ではお盆にイワナのつかみ取り大会が行われていましたが、2004年春、「準備と後片づけでお盆をゆっくり過ごせない」と村民の一部が不参加を申し出たとのこと。不参加を決めた住民達の理由にはもう一つ、「有力者の1人がイワナ購入にあたって村の補助金を水増し請求している」というのもあったとのこと。つまり必要なイワナを寄付によって取得したにもかかわらず購入したように見せかけ、村から補助金を詐取したということです。つまり立場を利用して利益を得ていたことになります。
この姿勢に集落の有力者は「従わなければ村八分にする」と、その不参加を申し出た11戸に対し、ゴミ収集箱の使用や山での山菜採りなどを禁じました。事実上の村八分行為です。
それに対して村八分にされた側の住人が、有力者3名を相手取り新潟地裁新発田支部に提訴します。それに対して、有力者側も名誉を傷つけられたとして反訴しました。
■参考:Matimulog: news:現代村八分
地裁、高裁とも村八分の存在を認定
地裁での判決は、村八分の存在を認めて有力者側に行為の禁止と計220万円の賠償でした。しかし、有力者側は「村八分行為はしていない」と東京高裁に控訴します。
しかしこの頃になると有力者側についた区長が辞任し、集落は区長不在の状態になっていたとのこと。しかし原告住民らは有力者側とのトラブルを避けるため、それまでとは別に新しく作られたゴミ収集箱を使い、旧ゴミ収集箱の使用や山菜採りの入山を自粛していたそうです。
その後東京高裁での判決が2007年10月になされ、一審判決を全面支持。すなわち住民側の勝訴となります。その後調べた限りでは上告はされていない模様。
■「村八分は違法」 東京高裁1審の原告勝訴を支持 - MSN産経ニュース ※リンク切れ
ただ報道によると、『被告男性は「高裁でどのような結果になっても、頭を下げることはない」と話している。 』とあり、今でも謝罪はなされていないのでしょうか。
あと、このようなものも
18日の朝日新聞社会欄によると、元区長らの1人が「上告するかどうかは未定。ただ、ゴミ収集箱の使用禁止などは総会で決めたことなので、賠償金は集落全戸で負担すべきだと考えている」と語っている。事実、一審の裁判費用200万円は集落の積立金から払った。積立金はもう底をついているという。ただ、被告とされたのは有力者の3人だったはずなので、何故集落全戸の負担になるかが非常に謎。
■参考:村八分で関川村元区長らに賠償命令 - NPO日記
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裁判は終わったけど
なんというか、外部から見ても嫌な事件ですね。もし、裁判が終わってから仲直りしていればよいのですが、なんだか上記の態度を見る限り、有力者が同じだと大差ないような気が。
本当はこの後をさらに知りたい方も多いと思われますが、さすがにブログだとこれ以上突っ込めないし、いや、この手の性質のものは報道でも難しそうですが。
他の地域でもあった現代の村八分
調べてみると同様の村八分による裁判が行われていたようです。それは兵庫県の佐用郡佐用町にある水根というところにおいて(最初の記事執筆当時には参考リンクがありましたが、今は消失しています)。
そして一昔前には、静岡県上野村というところで起きたこともあります。
■静岡県上野村村八分事件 - Wikipedia
※2014/12/31追記
そして今調べてみると、この記事を最初に書いた後でも、村八分と見なされる行為が起きているのではないかという報道が聞こえてくることがあります。
たとえば2010年に愛知県豊田市八草町で起きた村八分騒動、2011年に兵庫県加西市で起きた村八分騒動が起きて訴訟に発展しています。そして2014年9月には、宇都宮市にて、住民が自治会を抜けたところ、家の周りの街灯が外されるなどして、従来のサービスが受けられなくなったというトラブルが報じられました。
■“厄介者”のレッテルを貼られて地縁の輪の外へ追放!「理不尽な村八分」の撤回を訴え続ける孤高の陶芸家|相川俊英の地方自治“腰砕け”通信記|ダイヤモンド・オンライン
■神戸新聞NEXT|社会|加西「村八分」訴訟 教育長らの控訴棄却 大阪高裁判決 ※リンク切れ
村八分が起きるような村なら
地域での争いというのは大なり小なりあちこちで起きていると思います。そして当事者間の係争はさまざまなケースがあるので、一概にどちらが悪いとは言えない場合もあります。ただ、権力を盾にとって行政サービスや交流を阻害する行為は判決がそうであるように現代日本で認めるわけにはいかないでしょう。
今、過疎による高齢化が叫ばれていますが、一部の集落ではこういったものが嫌で集落を出て行く人も多いのでしょうね。しかし状況的に出て行けない人もいるのでしょう。それこそ中島みゆきの『ファイト!』にもありましたが、出て行くならお前の家族も住めんようにしちゃる言われて、東京行きの切符を捨てるような感じ。もちろん集落では共同意識が必要な点があるのはわかりますが、それを村八分に繋げていいものか。村八分のように人を傷つける悪習が残るようだったら、そこから人が出て行き、内部から崩壊するのも自然な時代の流れではないかと思うのは、都市部の人間の言い分でしかないのでしょうか。