前回はバーチャルネットアイドルというテキストサイトの「光」的側面について書きましたが(バーチャルネットアイドル(VNI)界はあれからどうなったのか )、今回は逆に「陰」的なものについて書こうと思います。

「終る世界」と「自殺日記」


1990年代後半から、日本でもインターネットはだんだんと普及し始めます。そして当時より「テキストサイト」が流行しはじめていました。主なところでは「ろじっくぱらだいす」「侍魂」、そして前回触れた「ちゆ12歳」といったものでしょうか。その中で、当時話題になり、今でも記憶に強烈に残っているサイトがあります。その名前は「終る世界」。

何故、このテキストサイトが有名になったか。それは1999年10月28日、「自殺日記」と称するものが始まり、以下の文章が掲載されたことによります。
僕は今日から100日後に死のうと思います。 死ぬ方法はまだ考えていませんが、何らかの方法で自殺するつもりです。 僕はもうダメです。 あと100日。



「あと○○日」


この衝撃的な日記は文字通りその日から毎日のように更新され、文末には1日が経つ毎に「あと○○日」とカウントダウンをしてゆきます。
ただ、この一見釣りとも思えるようなサイトには、多くの人が引きつけられました。それはここの管理人であるzedoc氏の文章が、見たものに強いインパクトを与えるものだったからです。理性的でどこか客観的にも見える文章、それが淡々と想いや行動を書いてゆくのが、「自殺日記」という環境も相まって独自の世界を築いていたからでしょうか。
今はもうそのサイトはありませんが、有志がミラーを残しているので、一度読んでみてください。

終る世界


「約束の日」


そして「その日」が近づくにつれ、このサイトのことは、マスコミでも報じられました(参考:『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』P226)。
しかし、それで日記が止むことはなく、「約束の日」(2000/2/5)になり、最後に以下の文章が書き込まれました。
時間がきました。これからチェックアウトします。今着ているスキーウェアのズボンがちょっと長めですが、長靴を履けばちょうどよくなると思います。現時点では、生きるか死ぬか、本当にまだ決めていません。僕はあの場所で決断します。僕の人生で初めての決断です。 それでは、行ってきます。

その後、更新が行われることはなく、zedoc氏の消息は現在も不明です。余談ですが、その約一週間後、「不正アクセス行為の禁止等に関する法律」が施行され、ネット上から多くのアングラサイトが消滅、もしくは地下に潜りました。



「自殺日記」は本物だったのか


さて、気になるのはこれが本物かどうかということでしょう。いかにも釣りっぽいとも言えます。それと、プロバイダが問い合わせを行い、ネタと判明したという噂も聞きます。しかし確たる証拠はなく、本物である可能性を否定するものはありません(実際に当時、「自殺します」と書いて、自殺したことが判明した管理人もいらっしゃいます)。どちらにしても、現在ではその証明は不可能に近いです。

でも、そんなことが本当かどうかというのは、(現実はともかく)ネット上においては対して重要なことではないのかもしれません。この時代に、このよな文章が書かれ、そして強いインパクトを与えたということだけが事実なのですから。

ただ、もう同じことを出来るサイトはないでしょうね。少なくとも「終る世界」レベルのものは。それはあまりにもインターネットが一般化してしまったため。私が今日からいきなり、この「自殺日記」みたいなことを始めようものなら、いきなりどっかの公的機関からお問い合わせが来そうな感じです。
この時代、当時のネットの状況だから出来たものなのでしょう。それが出来ないネットを健全化したと見るか、はたまた自由を喪失したと見るかは人によって違うでしょうが。