「セガBBS」。この言葉を目にして、「セガ」という単語なら多くの人が知るところでしょう。しかし「セガBBS」となると、BBSというものがインターネットにおける掲示板を指すことがわかったとしても、よほどインターネット歴が長く、且つかなり深くまでやっていた人でなければその正体はわからないのではないでしょうか。
ただ、分かる人、そして参加していた人にとっては、思い出深いインターネット掲示板だと思います
※このエントリーは2008年8月に書いたものを、2015年1月に加筆修正しました。

Video Game Consoles: Sega Dreamcast / Ryan Somma
インターネットが日本で普及し始めたのは、Windows95発売後。ネットスケープナビゲータからインターネットエクスプローラへの移行が進み(IE3~4のころ)、インターネット対応がそれまでと比べ比較的簡単になった頃でした。年にして、1996~1997年頃でしょうか。ただ、当時は企業でもホームページを持っていないところが多く、ましてや遊べるサイトやコミュニティーもほとんどありませんでした。故に、個人が開設、運営するホームページに、趣味ごとに分かれて利用していたような感じでした。
当時から大勢の人が集まり書くことによる交流が出来る場所、すなわち掲示板(BBS)は需要がありました。それに応えていたのが当時まだ存在していたニフティサーブなどのパソコン通信ですが、それは流れとして、インターネット内でも望まれるようになりました。しかし、当時はインフラが貧弱で、自らそんなところを設置できる人(組織)は限られていました。しかし、その需要に応えたサイトも出始めます。そして当時人が集まっていたのが、日本で出来たばかりのYahoo!の掲示板。そしてもうひとつは、セガBBSというところ。
名前からわかるように、これはゲーム会社である株式会社セガの公式サイト内にあった掲示板です。今では管理の大変さや、使用頻度の低さからすっかり使われなくなったメーカー掲示板ですが、この頃はヒット数を増やすのに有効な手段として、多くのメーカーに設置されていました。しかし、当然ながらその話題は、だいたいメーカー周辺のことに限定されていました。たとえばゲームソフト会社なら、そのゲームことについてのみといった感じ。
しかしながら、このセガBBSは、自社のゲームの話題のみならず、マンガやアニメ、その他趣味など、かなり多くの娯楽について語ることが許容されていました。もちろん主な利用者はゲームファンでしたが、ここへ参加する人の多さはメーカーのBBSとしては異例の数の集まりなっていました。
正確なオープンは不明ですが、新BBS形式に移行したのが 1996年10月22日。この時にどっとカテゴリーが増えました。ちなみに当時のセガはアーケードが『バーチャファイター』シリーズなどの大ブームで好調、そして自社ハード『セガサターン』も、ライバル『プレイステーション』とまだ接戦を繰り返しているという時期でしたが、『ファイナルファンタジーⅦ』がPSで発売されることが発表され、ややその影響が出てきたかと思わせる時期でした。
新BBS形式に移行してから1997年にかけて、カテゴリの数が増え続けます。もっともあとの掲示板(2ちゃんねるなど)にもあるように、一つのカテゴリであまり関係ないことを話す人により、新カテゴリ設立の要望が高まった故にという感じです。しかしこの年、セガ本体のほうは、サターンのペースが落ち始めます。そこで、同じく経営が落ち込んでいたバンダイとの合併話が出ますが、バンダイ社内の反発やたまごっちによる持ち直しにより、白紙撤回となりました(『セガバンダイ』事件)。セガにとって数少ない明るい材料は、CM『せがた三四郎』がヒットしたことでしょうか。
1998年、セガサターンは事実上トップシェア争いから脱落し、セガは新ハード、『ドリームキャスト』の発表をしました。そのため、セガBBSでも 5月22日 「Dreamcast」カテゴリが開設され、その期待で連日大盛況となりました。
そして、 11月27日、いよいよドリームキャスト発売。同時にセガBBSでも 「目出度い!ドリームキャスト」というおめでとうを書くためのカテゴリが設立されました。おそらく、ここらへんがセガBBSの一番盛り上がっていた時期だったのでしょう。
その後、ドリームキャストにネット接続機能があることで、ここに書き込む人も多く出始めました。
1999年、掲示板は多少禁止事項が増えたりはしたものの、ドリキャス接続の需要もあり、割と安定していました。ただ、ドリキャスのほうが部品の歩留まりに悩まされて出荷需要を満たせなかったり、独禁法問題が出てきたりと波乱だったようです。しかし本当の波乱は後半、とうとうPS2が発表されてしまったことでしょう。ただ、まだこの時点では負けムードにはなっていませんでしたし、掲示板は普通に機能していたように記憶しています。
そして同時期、個人の運営する大規模掲示板というのが多く出始めてきました。そのうちのひとつ、「2ちゃんねる」が、1999年5月30日、誕生します。
いよいよ、2000年3月4日、プレイステーション2が発売されると、ゲームハードの一般的な注目はそちらにいってしまいます。ただ、セガのファンは熱心な人が多いので、それでもファンの支持はかなりありました。が、セガの経営的には苦戦を強いられていたようです。
そして掲示板もそれに合わせるように、だんだんと書き込みが減ってきました。それは当時、盛り上がり始めていた2ちゃんねるなどの影響もあるでしょう(ただ、このころの2ちゃんねるはアングラ的な空気が強くあったために敬遠されていた部分があり、少なくともほかのページで同じような口調で書くこと、そしてリンクすることは好まれていませんでした)。
とうとう2001年1月19日、現状にあわせるかのように、セガの製品に直接関係のないカテゴリが、大量に閉鎖されます。ここに本当に最初期のように、セガ製品のみのBBSとなってしまいました。
それにあわせるかのように、2001年3月、セガ、家庭用ハード撤退を表明。長いセガハードの歴史に幕を下ろすこととなります。
その後、2ちゃんねるが浸透し、セガBBSの利用は減り続け、本当にセガ製品のみのファンが集まる、一般的なメーカーのページ同様になります。ただ、このころになると管理の大変さや、BBSで客を引くことへの疑問からか、どこの企業でもBBS自体がなくなってきていましたが。
そして細々と続いたセガBBSも、とうとう2005年の秋、統合という形で消滅しました。しかし、どれだけの人がこのことを知っていたでしょうか
■セガBBS、ついに完全閉鎖へ
ふと昔を思い返して検索をかけると、ここで書き込んでいた人はかなりいるみたいです。
しかしインターネットは進化し続け、社会情勢も変わり続けました。あの頃はスクウェアとエニックスがくっつくとも思いませんでしたし、ブラウザにタブが出来るとも思いませんでした。
おそらく、また10年後にはすっかりこういったネットコミュニティ周辺も変わっているのでしょう。もしかしたら2ちゃんねるも、「ああ、昔そんなのあったな」とか言われたり、ニコニコ動画も「ああ、昔コメント書き込んだわ」なんて思い出されているのかもしれません。
ただ、分かる人、そして参加していた人にとっては、思い出深いインターネット掲示板だと思います
※このエントリーは2008年8月に書いたものを、2015年1月に加筆修正しました。

Video Game Consoles: Sega Dreamcast / Ryan Somma
日本のインターネット初期にあったセガBBSという存在
インターネットが日本で普及し始めたのは、Windows95発売後。ネットスケープナビゲータからインターネットエクスプローラへの移行が進み(IE3~4のころ)、インターネット対応がそれまでと比べ比較的簡単になった頃でした。年にして、1996~1997年頃でしょうか。ただ、当時は企業でもホームページを持っていないところが多く、ましてや遊べるサイトやコミュニティーもほとんどありませんでした。故に、個人が開設、運営するホームページに、趣味ごとに分かれて利用していたような感じでした。
当時から大勢の人が集まり書くことによる交流が出来る場所、すなわち掲示板(BBS)は需要がありました。それに応えていたのが当時まだ存在していたニフティサーブなどのパソコン通信ですが、それは流れとして、インターネット内でも望まれるようになりました。しかし、当時はインフラが貧弱で、自らそんなところを設置できる人(組織)は限られていました。しかし、その需要に応えたサイトも出始めます。そして当時人が集まっていたのが、日本で出来たばかりのYahoo!の掲示板。そしてもうひとつは、セガBBSというところ。
名前からわかるように、これはゲーム会社である株式会社セガの公式サイト内にあった掲示板です。今では管理の大変さや、使用頻度の低さからすっかり使われなくなったメーカー掲示板ですが、この頃はヒット数を増やすのに有効な手段として、多くのメーカーに設置されていました。しかし、当然ながらその話題は、だいたいメーカー周辺のことに限定されていました。たとえばゲームソフト会社なら、そのゲームことについてのみといった感じ。
しかしながら、このセガBBSは、自社のゲームの話題のみならず、マンガやアニメ、その他趣味など、かなり多くの娯楽について語ることが許容されていました。もちろん主な利用者はゲームファンでしたが、ここへ参加する人の多さはメーカーのBBSとしては異例の数の集まりなっていました。
セガBBS誕生
正確なオープンは不明ですが、新BBS形式に移行したのが 1996年10月22日。この時にどっとカテゴリーが増えました。ちなみに当時のセガはアーケードが『バーチャファイター』シリーズなどの大ブームで好調、そして自社ハード『セガサターン』も、ライバル『プレイステーション』とまだ接戦を繰り返しているという時期でしたが、『ファイナルファンタジーⅦ』がPSで発売されることが発表され、ややその影響が出てきたかと思わせる時期でした。
1997年
新BBS形式に移行してから1997年にかけて、カテゴリの数が増え続けます。もっともあとの掲示板(2ちゃんねるなど)にもあるように、一つのカテゴリであまり関係ないことを話す人により、新カテゴリ設立の要望が高まった故にという感じです。しかしこの年、セガ本体のほうは、サターンのペースが落ち始めます。そこで、同じく経営が落ち込んでいたバンダイとの合併話が出ますが、バンダイ社内の反発やたまごっちによる持ち直しにより、白紙撤回となりました(『セガバンダイ』事件)。セガにとって数少ない明るい材料は、CM『せがた三四郎』がヒットしたことでしょうか。
1998年
1998年、セガサターンは事実上トップシェア争いから脱落し、セガは新ハード、『ドリームキャスト』の発表をしました。そのため、セガBBSでも 5月22日 「Dreamcast」カテゴリが開設され、その期待で連日大盛況となりました。
そして、 11月27日、いよいよドリームキャスト発売。同時にセガBBSでも 「目出度い!ドリームキャスト」というおめでとうを書くためのカテゴリが設立されました。おそらく、ここらへんがセガBBSの一番盛り上がっていた時期だったのでしょう。
その後、ドリームキャストにネット接続機能があることで、ここに書き込む人も多く出始めました。
1999年
1999年、掲示板は多少禁止事項が増えたりはしたものの、ドリキャス接続の需要もあり、割と安定していました。ただ、ドリキャスのほうが部品の歩留まりに悩まされて出荷需要を満たせなかったり、独禁法問題が出てきたりと波乱だったようです。しかし本当の波乱は後半、とうとうPS2が発表されてしまったことでしょう。ただ、まだこの時点では負けムードにはなっていませんでしたし、掲示板は普通に機能していたように記憶しています。
そして同時期、個人の運営する大規模掲示板というのが多く出始めてきました。そのうちのひとつ、「2ちゃんねる」が、1999年5月30日、誕生します。
2000年以降
いよいよ、2000年3月4日、プレイステーション2が発売されると、ゲームハードの一般的な注目はそちらにいってしまいます。ただ、セガのファンは熱心な人が多いので、それでもファンの支持はかなりありました。が、セガの経営的には苦戦を強いられていたようです。
そして掲示板もそれに合わせるように、だんだんと書き込みが減ってきました。それは当時、盛り上がり始めていた2ちゃんねるなどの影響もあるでしょう(ただ、このころの2ちゃんねるはアングラ的な空気が強くあったために敬遠されていた部分があり、少なくともほかのページで同じような口調で書くこと、そしてリンクすることは好まれていませんでした)。
とうとう2001年1月19日、現状にあわせるかのように、セガの製品に直接関係のないカテゴリが、大量に閉鎖されます。ここに本当に最初期のように、セガ製品のみのBBSとなってしまいました。
それにあわせるかのように、2001年3月、セガ、家庭用ハード撤退を表明。長いセガハードの歴史に幕を下ろすこととなります。
その後、2ちゃんねるが浸透し、セガBBSの利用は減り続け、本当にセガ製品のみのファンが集まる、一般的なメーカーのページ同様になります。ただ、このころになると管理の大変さや、BBSで客を引くことへの疑問からか、どこの企業でもBBS自体がなくなってきていましたが。
セガBBS実質閉鎖
そして細々と続いたセガBBSも、とうとう2005年の秋、統合という形で消滅しました。しかし、どれだけの人がこのことを知っていたでしょうか
■セガBBS、ついに完全閉鎖へ
おわりに
ふと昔を思い返して検索をかけると、ここで書き込んでいた人はかなりいるみたいです。
しかしインターネットは進化し続け、社会情勢も変わり続けました。あの頃はスクウェアとエニックスがくっつくとも思いませんでしたし、ブラウザにタブが出来るとも思いませんでした。
おそらく、また10年後にはすっかりこういったネットコミュニティ周辺も変わっているのでしょう。もしかしたら2ちゃんねるも、「ああ、昔そんなのあったな」とか言われたり、ニコニコ動画も「ああ、昔コメント書き込んだわ」なんて思い出されているのかもしれません。