ここ数日ネットを騒がせている、野々村竜太郎議員の会見の話。疑惑とかそのものよりも、会見での号泣インパクトのほうが大きくなっている感じですが。それに影響を受けたのか、ネット上では、何故かそれを素材にしたMADやら音楽が生まれているようです。
■『ニコニコ動画』のランキング上位が野々村竜太郎氏がほぼ独占状態 号泣会見は良いMAD素材? - ライブドアニュース
■「ネタ動画」は全てを越える:日経ビジネスオンライン
■半沢直樹と「号泣議員」が共演・・・続々と誕生する「MAD動画」に問題はないの?|弁護士ドットコムトピックス
この流れにおいて、自分の頭に真っ先に思い浮かんだ単語が「ムネオハウス」というもの。
しかし、ネットで見ても、この動画騒ぎに触れている人は多くても「ムネオハウス」という単語を使っている人を殆ど見ません(さっき見つけたこのエントリーで少し触れられてました。ちょっと嬉しい)。
で、それがいつのことだったか調べてみると、2002年、もう12年前なのですね。
それじゃあ知らない人が多くても無理もない、ということで、今日はその2002年に盛り上がった「ムネオハウス」というネット上における創作現象?において書いてゆこうと思います。
Dj Mix / Anderson Mancini
時は2002年、日本ではIT革命とか言われている時代のこと。インターネット博覧会「インパク」なんかも開催されたりしていましたね。
■インターネット博覧会「インパク」はそれからどうなったのか : Timesteps
その時代、自民党の有力政治家であり、北海道地区、及び外務省やロシア外交に大きな力を持っていたのが、鈴木宗男議員。その鈴木議員に2002年2月、利権疑惑が持ち上がります。
その発端となったのが、北方領土のひとつ、国後島の「日本人とロシア人の友好の家」の建設を巡る疑惑。この件については当時国会やマスメディアなどでとりあげられたのですが、その野党追及の中で、この「日本人とロシア人の友好の家」について、鈴木議員の影響力を示すように、現地では「ムネオハウス」と呼ばれている、という言葉が出ました。
その響きにインパクトがあり象徴的だったためか、当時の報道記事などでは「ムネオハウス」という言葉が連日載ることになります。
ちなみに現在文筆家として活動している佐藤優氏は、当時外務省におり、この事件で執行猶予つきの有罪となりましたが、この一連の事件について政治的意図で捜査が行われた国策捜査と主張しています。
■参考:鈴木宗男事件 - Wikipedia
■参考:日本人とロシア人の友好の家 - Wikipedia
Scapegoat. / MIKI Yoshihito (´・ω・)
まだ発展期だったインターネット。今では(いろんな意味で)有名な2ちゃんねるも出来てそれほど経っていなかった時代、2ちゃんねるのテクノ板に、ネタスレとして「アシッドハウス=ムネオハウス」という名前のスレが立ちます。
本来ならネタスレとして終わるものなのですが、何故かそこに鈴木宗男氏の声をサンプリングして作った自作テクノが投下。そこから一気に火がつき、次々と鈴木氏の声などこの事件に関係する報道などを素材としてサンプリングした音源が投下されます。
さらにテクノ板の外にも波及し、ジャケット画像、そしてこれまた報道写真などを使った動画が投下されるに至ります。そしてそれらをまとめて、アルバム等も作られるに至りました。
有名なのが以下のもの。
ちなみに作品の多くをまとめたアーカイブサイトが今もあります。
■muneohouse.net
当時はYouTubeやニコニコ動画のような動画サイトなど存在しませんでした(あったとしてもめっちゃナローバンドで数秒を見るくらいのサイトだったかな)。しかし、動画創作コンテンツは当時からあり、アップ&ダウンロードなどで広まっていました。もっとも著作権の意識も今と比べわりとピリピリしていて(まあ他の要因があったのですが、その話はまた別の機会に)、ややアンダーグランド的な感じがあったのですが。
その中で主に使われたのがFlash。様々な動きが演出出来て、且つ当時主流だったmpeg等の動画ファイルと比べてファイルが軽かったので、まだ通信スペック的に未熟なインターネットの世界では都合がよかったのですね(あと動画作成ツールが高かったのもあり)。
このムネオハウスムーブメントも、ネットにおけるFlash文化が盛り上がるひとつの大きなきっかけになったと思われます。おそらくは、公開の場としてYouTubeやニコニコ動画が生まれ、広まる2007年頃までは、動画の公開方法としてはそちらのほうが主流だったのでは。
ちなみに当時、そういったFlash作品を紹介し、広まっていくのに寄与したのが、個人ニュースサイト。その分野で代表的存在だった『イイ・アクセス』や、当時からあった『カトゆー家断絶』とかで紹介されてましたね。
そういえば、両方とも個人ニュースサイト形態は停止してますね(まあ続いているだけすごいものですが)。そのあたりの個人ニュースサイトの歴史もそのうち書きたいな。
そして、2002年4月5日には、ネットを飛び出してリアルのクラブイベント「MUNEO HOUSE PARTY」が新宿ロフトプラスワンで行われるまでに至りました。今でこそネットでのイベントは珍しくなかったですが、こういった形で広まったものがひとつのリアルイベントとなるまで盛り上がるということは、当時としては非常に斬新なものでした。
ついでなので、当時の関連作品を先に出したのに加えていくつか。つか昔は見たいと思ってもネットで現存してるとこ探し出してダウンロードしてといろいろ苦労したのに、こういうふうに動画がアップロードされていて検索一つで出てくるのは、便利なような少しいろいろ当時あったも意識への障壁が薄れているようで怖いような気も少し。
そういえば、ここで出て来ちゃってる当時鈴木宗男氏の秘書だったムルアカ氏、もともと技術者で、現在も講師やタレントをやっていますが、なんか数年おきに妙なところから名前が出てくるような気が。
■ボビー警察連行、ムルアカ氏殴った! - nikkansports.com > 芸能ニュース
さて、その後ですが一時期盛り上がったものの、この手のものの常として、徐々に収束してゆきます。おそらくは2002年中にはすでにある程度収束していたかと。
ただ、ネット全体としての盛り上がりは収束しても、一部で根強い創作活動が続き、このあと数年間続いていたようです。
その後2006年、鈴木宗男氏本人をクラブイベントに招待するようなこともあったそうで(まあさすがに上記のような曲は流さなかったようですが)。
■100%ムネオナイトに行ってきました。 - muneo house information
そしてブームからは12年、イベントからも9年が経とうとしている現在、まさかこんな形でこのことに触れることになるとは思いませんでした。
文化というのは、意外な形で生まれ、意外な経緯で発展し、後に影響を与えるということは、ネットのみならず歴史を見てもいくらでもあります。故に、今回の件も創作意欲が盛り上がっている反面、著作権の問題やその他素材となっている当事者側からの視点など、いろいろ問題となる点もないと言えないので全肯定も全否定もしにくいのですが、どう動いてどう影響するか、この時のことがどう判断されるかは、結局未来から見ないとわからないかもしれません。
--------------------
その他参考
■muneo house information
■ムネオハウスとは (ムネオハウスとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
さすがに参考にはしてないもの
■ムネオハウス - アンサイクロペディア
■『ニコニコ動画』のランキング上位が野々村竜太郎氏がほぼ独占状態 号泣会見は良いMAD素材? - ライブドアニュース
■「ネタ動画」は全てを越える:日経ビジネスオンライン
■半沢直樹と「号泣議員」が共演・・・続々と誕生する「MAD動画」に問題はないの?|弁護士ドットコムトピックス
この流れにおいて、自分の頭に真っ先に思い浮かんだ単語が「ムネオハウス」というもの。
しかし、ネットで見ても、この動画騒ぎに触れている人は多くても「ムネオハウス」という単語を使っている人を殆ど見ません(さっき見つけたこのエントリーで少し触れられてました。ちょっと嬉しい)。
で、それがいつのことだったか調べてみると、2002年、もう12年前なのですね。
それじゃあ知らない人が多くても無理もない、ということで、今日はその2002年に盛り上がった「ムネオハウス」というネット上における創作現象?において書いてゆこうと思います。
Dj Mix / Anderson Mancini
はじまりは2002年の国会
時は2002年、日本ではIT革命とか言われている時代のこと。インターネット博覧会「インパク」なんかも開催されたりしていましたね。
■インターネット博覧会「インパク」はそれからどうなったのか : Timesteps
その時代、自民党の有力政治家であり、北海道地区、及び外務省やロシア外交に大きな力を持っていたのが、鈴木宗男議員。その鈴木議員に2002年2月、利権疑惑が持ち上がります。
その発端となったのが、北方領土のひとつ、国後島の「日本人とロシア人の友好の家」の建設を巡る疑惑。この件については当時国会やマスメディアなどでとりあげられたのですが、その野党追及の中で、この「日本人とロシア人の友好の家」について、鈴木議員の影響力を示すように、現地では「ムネオハウス」と呼ばれている、という言葉が出ました。
その響きにインパクトがあり象徴的だったためか、当時の報道記事などでは「ムネオハウス」という言葉が連日載ることになります。
ちなみに現在文筆家として活動している佐藤優氏は、当時外務省におり、この事件で執行猶予つきの有罪となりましたが、この一連の事件について政治的意図で捜査が行われた国策捜査と主張しています。
■参考:鈴木宗男事件 - Wikipedia
■参考:日本人とロシア人の友好の家 - Wikipedia
Scapegoat. / MIKI Yoshihito (´・ω・)
予想もつかない形で生まれた「ムネオハウス」ムーブメント
まだ発展期だったインターネット。今では(いろんな意味で)有名な2ちゃんねるも出来てそれほど経っていなかった時代、2ちゃんねるのテクノ板に、ネタスレとして「アシッドハウス=ムネオハウス」という名前のスレが立ちます。
本来ならネタスレとして終わるものなのですが、何故かそこに鈴木宗男氏の声をサンプリングして作った自作テクノが投下。そこから一気に火がつき、次々と鈴木氏の声などこの事件に関係する報道などを素材としてサンプリングした音源が投下されます。
さらにテクノ板の外にも波及し、ジャケット画像、そしてこれまた報道写真などを使った動画が投下されるに至ります。そしてそれらをまとめて、アルバム等も作られるに至りました。
有名なのが以下のもの。
ちなみに作品の多くをまとめたアーカイブサイトが今もあります。
■muneohouse.net
当時全盛だったFlash文化
当時はYouTubeやニコニコ動画のような動画サイトなど存在しませんでした(あったとしてもめっちゃナローバンドで数秒を見るくらいのサイトだったかな)。しかし、動画創作コンテンツは当時からあり、アップ&ダウンロードなどで広まっていました。もっとも著作権の意識も今と比べわりとピリピリしていて(まあ他の要因があったのですが、その話はまた別の機会に)、ややアンダーグランド的な感じがあったのですが。
その中で主に使われたのがFlash。様々な動きが演出出来て、且つ当時主流だったmpeg等の動画ファイルと比べてファイルが軽かったので、まだ通信スペック的に未熟なインターネットの世界では都合がよかったのですね(あと動画作成ツールが高かったのもあり)。
このムネオハウスムーブメントも、ネットにおけるFlash文化が盛り上がるひとつの大きなきっかけになったと思われます。おそらくは、公開の場としてYouTubeやニコニコ動画が生まれ、広まる2007年頃までは、動画の公開方法としてはそちらのほうが主流だったのでは。
ちなみに当時、そういったFlash作品を紹介し、広まっていくのに寄与したのが、個人ニュースサイト。その分野で代表的存在だった『イイ・アクセス』や、当時からあった『カトゆー家断絶』とかで紹介されてましたね。
そういえば、両方とも個人ニュースサイト形態は停止してますね(まあ続いているだけすごいものですが)。そのあたりの個人ニュースサイトの歴史もそのうち書きたいな。
リアルのクラブイベントも行われる
そして、2002年4月5日には、ネットを飛び出してリアルのクラブイベント「MUNEO HOUSE PARTY」が新宿ロフトプラスワンで行われるまでに至りました。今でこそネットでのイベントは珍しくなかったですが、こういった形で広まったものがひとつのリアルイベントとなるまで盛り上がるということは、当時としては非常に斬新なものでした。
ムネオハウス系作品(のごく一部)
ついでなので、当時の関連作品を先に出したのに加えていくつか。つか昔は見たいと思ってもネットで現存してるとこ探し出してダウンロードしてといろいろ苦労したのに、こういうふうに動画がアップロードされていて検索一つで出てくるのは、便利なような少しいろいろ当時あったも意識への障壁が薄れているようで怖いような気も少し。
そういえば、ここで出て来ちゃってる当時鈴木宗男氏の秘書だったムルアカ氏、もともと技術者で、現在も講師やタレントをやっていますが、なんか数年おきに妙なところから名前が出てくるような気が。
■ボビー警察連行、ムルアカ氏殴った! - nikkansports.com > 芸能ニュース
ムネオハウスその後
さて、その後ですが一時期盛り上がったものの、この手のものの常として、徐々に収束してゆきます。おそらくは2002年中にはすでにある程度収束していたかと。
ただ、ネット全体としての盛り上がりは収束しても、一部で根強い創作活動が続き、このあと数年間続いていたようです。
その後2006年、鈴木宗男氏本人をクラブイベントに招待するようなこともあったそうで(まあさすがに上記のような曲は流さなかったようですが)。
■100%ムネオナイトに行ってきました。 - muneo house information
さて、今回はどうなるのか
そしてブームからは12年、イベントからも9年が経とうとしている現在、まさかこんな形でこのことに触れることになるとは思いませんでした。
文化というのは、意外な形で生まれ、意外な経緯で発展し、後に影響を与えるということは、ネットのみならず歴史を見てもいくらでもあります。故に、今回の件も創作意欲が盛り上がっている反面、著作権の問題やその他素材となっている当事者側からの視点など、いろいろ問題となる点もないと言えないので全肯定も全否定もしにくいのですが、どう動いてどう影響するか、この時のことがどう判断されるかは、結局未来から見ないとわからないかもしれません。
--------------------
その他参考
■muneo house information
■ムネオハウスとは (ムネオハウスとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
さすがに参考にはしてないもの
■ムネオハウス - アンサイクロペディア