前回の続きになります。、

2011年に起こった主要事件を思い返してみる(国内上半期編) : Timesteps

今回は2011年海外編になります。

とはいえ、去年初めに起きたひとつのことが、海外ニュースとしては2011年の1、2争うくらいなため、そこを多めに書いてあります。ご了承ください。
あと関係ないですが、2011年かなあと勝手に思い込んでいたチリのコピアポ鉱山落盤事故&脱出劇は2010年8月でした。

それはともかく、2011年の海外の出来事をどうぞ。
タイトルなし
タイトルなし / StefdeVries



ジャスミン革命からのアラブの春(1月~)



110118 Tunisia unity government unravels 05 | ????? ????? ?????? ??????? ?? ???? | Echec du gouvernement d'unite nationale en Tunisie / Magharebia


日本国内の2011年上半期ニュースが東日本大震災及びそれを起因する出来事で占められたとすると、海外でのニュースとしては、このアラブにおける民主化の一連の動き、すなわちアラブの春が最大のニュースだったと思われます。

チュニジア


まず、始まりはチュニジアから。

アフリカ北部の国、チュニジアでは23年間、ベン=アリー政権による独裁が続いており、それは政治の腐敗を生み出していました。そしてとある男性の社会不満に対する焼身自殺をきっかけにして、民衆の鬱憤が爆発。社会不満を持つ若者を中心として、大規模デモに発展します。

その後鎮圧のための銃撃で死亡者が出たことなどによりさらに激化。その動きに大統領は懐柔を行おうとするも勢いは止まらず、ついにはユネスコ大使が辞職するなど政府内からも反発が生じます。

そして自国の軍部も離反、大統領は1月14日、国外に脱出(事実上の亡命)します。

チュニジア民衆のデモ拡大でベン・アリー大統領が国外亡命

その後は暫定政権が発足、そして準備期間を経て2011年10月23日に制憲議会選挙が行われ、第一党となったイスラム政党のアンナハダを中心に、連立政権が発足しました。

ベン=アリー元大統領はサウジアラビアに亡命し、チュニジアの裁判にて終身刑を言い渡されましたが、引き渡される目処は立っていないようです。

亡命中のチュニジア前大統領に終身刑判決、暴動懸念も 写真2枚 国際ニュース : AFPBB News

これらの動きは、チュニジアの象徴的な花であるジャスミンより、「ジャスミン革命」と呼ばれます。
このジャスミン革命は、その後北アフリカ~中東諸国に民主化の動きを伝播させ「アラブの春」と呼ばれるようになります。影響を受けた主な国は以下の通り。

エジプト


2011年1月よりチュニジアに触発され、大規模デモ。長期独裁政権のムバラク大統領は2月11日にエジプト軍最高評議会に国家権力を委譲して、独裁が終了。
現在のエジプトは、暫定政権時代より権力を掌握している軍部より、どうやって民政移管するかという、難しいプロセスの最中にあります。
2012年6月、特設法廷によりムバラク元大統領は終身刑となりました。


イエメン


こちらもチュニジアの動きを受け、サーレハ大統領の20年間の長期政権からの退陣の動きが生じます。抵抗もありましたがその後退陣を表明。2012年2月の選挙で新しい大統領が決まりました。
ただし、退陣の条件に恩赦があったため、訴追はされていません。そのため一部でまだデモが起きているとのこと。

リビア


※2016年1月12日修正追記。
現在、ISの台頭で混迷を極めています。
長くなるので、そのうち詳細を語ります。

アルジェリア


こちらでも動きが伝わり、デモ発生。その結果、1992年以来ずっと弾圧の理由として続けられてきた非常事態宣言を解除させられるに至ります。そして憲法改正を大統領に約束させました

モロッコ


この国は国王制で、王の権力が強かったのですが、デモの要求により議会権力の拡大に成功。今後は王存在のまま民主化の方向に向かう可能性があります。

その他


その他、サウジアラビア、レバノン、ヨルダン、クウェート、バーレーン、イラク、オマーンなどでもデモが行われ、一定の条件を勝ち取ることが出来たところもあるようです。しかしながら小規模に起こり、鎮圧された国もあります。また、先進国でも少し形を変えて政府への不満をぶつけるためのデモが行われた国もあります。

これらのデモでは、情報伝達手段として、また海外へのアピールとしてネット(TwitterやFacebookなど)が使われたことが、新しい時代の情報手段として象徴的なものとなっています。

そして今ですが、当時程ではありませんが、現状の不満に対して多くの国でデモが行われているようですので、またいつ爆発するかはわかりません。今後も注目する必要があるでしょう。

※2016/1/12追記
現在、ISの台頭など多くの要因でこれを書いた時よりも混迷を極めているので、そのうちまとめます。


ニュージーランド地震(2月)



Christchurch Earthquake - St John's Anglican Church, Latimer Square / annzstream


2011年2月22日、ニュージーランドカンタベリー地方、クライストチャーチ付近を震源とするたマグニチュード6.3の地震が発生。そして多数の建物が振動、もしくは液状化現象により倒壊し、犠牲者が出ます。

これにより、ライストチャーチ中心部の3分の1は壊滅状態になったそうです。またクライストチャーチはその名前からも見られるように、クライストチャーチ大聖堂がシンボル的名存在でしたが、ここも塔が崩壊しました。
その後も数日にわたって大きな余震が続きました。

この災害での犠牲者は死傷者は185人、200人以上が行方不明と言われていますが、その中には留学生や専門学校の生徒などニュージーランドを訪れていた日本人もいて、25名が亡くなりました。

ニュージーランドでM6.3の地震、懸命の救助作業続く 写真19枚 国際ニュース : AFPBB News
NZ地震、死者123人 不明200人以上に 写真10枚 国際ニュース:AFPBB News


この半月後、とんでもない地震が日本にもふりかかることになり、忘れられることも多くなってしまったこの災害ですが、こちらも同じくものすごい地震であり、犠牲者も多かったのですよね。

尚、この折日本人記者がおそらくは取材目的のため病院内に不法侵入し、現地警察に逮捕されるという不祥事がありました。この件、及び東日本大震災における被災者への報道は、普段与えられるだけのメディアについて、そのリテラシーを考える機会にもなったと思われます。

NZ大地震で日本人記者逮捕? 病院取材で不法侵入か : J-CASTニュース


そして1年経った2012年の2月22日、その追悼式典が行われたようです。しかしこの直後日本でいろいろあったため、まだ1年しか経ってないということが信じられないようにも感じます。

ニュージーランド地震から1年:追悼式典など - クライストチャーチ最高!


ウサマ・ビン・ラディン容疑者死亡(5月)



Is Bin Laden Dead? / Ben Sutherland


アルカイダの指導者であり、アメリカ同時多発テロ事件の首謀者と目され、アメリカにとって最重要とも言えた手配人物であるウサマ・ビン・ラディン容疑者。その身元は転々と移動し、時折出される声明を解析しても居場所を特定することは出来ずに10年が経とうとしていました。

しかし、2011年5月2日、パキスタンに潜入していたアメリカ軍により、アボタバードの潜伏先で作戦開始、銃撃戦の末、死亡が確認されました。

ビンラディン容疑者を殺害、オバマ米大統領「正義はなされた」 写真5枚 国際ニュース : AFPBB News

遺体は海で水葬とされましたが、イスラム教で行われている土葬でないことへの非難や、埋葬場所をアルカイダの聖地とさせるのを防いだためそうしたのではという声がイスラム諸国を中心にあります。

2001年9月11日より、アメリカによっては至上課題の一つとも言えたものが、アフガン戦争やイラク戦争、それにサダム=フセインイラク大統領の処刑などいろいろなことを経て達成され、一つの時代の節目となったことでしょう。

しかしながら、この時に始まったアフガニスタンでの争乱は大きな傷跡を残し、復興は進んでいるとは言えないでしょう。また、アメリカ自身もビン・ラディン容疑者暗殺で一つの節目を迎えたとは言え、まだ争乱から完全に抜け出ているとは言えないでしょう。

■参考:あまりの違いに驚愕、アフガニスタンの首都カブールの40年前と現在を比べた写真:らばQ



2016/1/22追記


すみません、この記事を書いた当時(2012年)の事情でぶつ切り感が強くなっています(本当は下半期編も書くつもりだったのに書けなかった等)。

中東問題については、また最新の動向を改めて書きたいと思っています。


----------------------------

その他参考

アラブの春 - Wikipedia
ジャスミン革命 - Wikipedia
カンタベリー地震 (2011年) - Wikipedia