東日本大震災は東北地方をはじめ日本中で被害の大きな爪痕を残しています。その中で、畜産業を営む人が、現在の家畜の世話(特に避難している人)やこれからのことについて悩みを抱えているという報道がされる時があり、こういった事態が起こった時は人間ばかりではなくそういう家畜など、細かいところまで数多くの影響があることを思い知らされます。

そして2010年にもこういった畜産業に大きな影響を与えるニュースがあったのを憶えておられるでしょうか。それは宮崎を中心とした九州の口蹄疫騒動。今日はそれがどうなったかについて書いてゆこうと思います。
2010.06.19宮崎市商店街に見る口蹄疫
2010.06.19宮崎市商店街に見る口蹄疫 / TomenoNaoki



2010年の宮崎における口蹄疫の発生


2010年の口蹄疫は、最初は韓国京畿道漣川で発生が確認され、その後中国でも発生したため、日本の農家でもその発生が心配されていました。

そして2010年3月、宮崎県内で乳牛である水牛に下痢が見られたために検査に出されますが、この時はそれもすぐ症状は収まり、検査でも口蹄疫ではないと判断されます(この時点の対処が議論されることもあります)。

しかし4月中頃、口蹄疫の症状らしきものが見られる牛が再び出てきて、検査が行なわれます。その結果、和牛三頭に口蹄疫の疑いがあると判断され、その旨を4月20日宮崎県が公表します。その結果、農林水産省は赤松広隆農林水産大臣を本部長とする口蹄疫防疫対策本部を設置しました。



口蹄疫とは?


ちなみに口蹄疫とは、口蹄疫ウイルスによる家畜の伝染病で、法定伝染病に指定されています。特徴は家畜同士での高い伝播性、罹患した動物の生産性の低下など。ただし、人間に感染することはごく希で、仮にかかっても症状は軽く、口蹄疫に感染した家畜の肉を食べて感染することはないということです。

しかし、野鳥、犬、猫、ネズミなどを媒介として感染するほか、塵による空気感染もするためあっという間に広がり家畜のアウトブレイクが起こる可能性があり、多大な経済的損失が拡大するのを防止するため多くの場合その地域の家畜の隔離や殺処分が必要となります。これは感染していなくとも、その感染力の高さから感染した家畜の近くで飼育されていたものも一斉にその対象となります。

そのため宮崎県の場合も、口蹄疫に感染した牛が発見された農家から半径10キロを移動制限区域、半径20キロを搬出制限区域に指定され、消毒ポイントを設置する等の防疫対策が開始されます。宮崎県では2000年の発見以来、10年ぶりのこととなりました。

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様々な拡大防止対策


そして4月20日以降、一部道路の封鎖、宮崎県では消毒ポイントを設置して通過する人や車の消毒、そして家畜の殺処分など、対応に追われることになります。当時、宮崎県の知事だった東国原氏が連日発言をしている姿がマスメディアに多く出ていたので、この辺のことを記憶している方も多いと思われます。

ちなみに感染が発見された近隣地域の家畜にもワクチンを投与するのですが、それらの家畜は結果的に殺処分することになるため、一時期、農家の一部が投与を拒否する事態も見られました。これらは、当時は補償もはっきりしていなかった為経済的事情のほか、大切に育てていたものをそのように殺さなければいけないことへの躊躇など心情的なもの、種牛の場合工夫を重ね宮崎牛としてのブランドを作ってきた牛の種を断ってしまうことになるというなどいろいろな理由をかかえていたことによるものでした。よって行政が農家の説得に回るといったことも行なわれました。

そして4月25日には殺処分予定の牛が1000頭を突破。過去最大級の被害となることが確定的となります。そのため東国原知事は4月27日、農水相や自民党総裁に支援を要請します。


5月に非常事態宣言


5月に入って、自衛隊に派遣を要請する事態になっても終息が見えず、10日までに殺処分される牛と豚は計7万6852頭になります。特に被害が大きかったのは宮崎県川南町で町内の家畜の約半数が殺処分されなければならない事態となります。下はこのあたりでの口蹄疫発見数拡大。

451px-口蹄疫-位置-地図

(日本の宮崎県の口蹄疫の発生地域の地図 Source: Sankakukei, InoueKeisuke. Derivative work: Dubianman)

詳細は当時の以下の記事の詳しいです。

宮崎の「口蹄疫(こうていえき)」がどのような影響を与えているのかまとめ - GIGAZINE(2010年5月7日の記事)

そして5月17日時点での殺処分対象となった家畜の数は11万を突破。5月18日、東国原知事は非常事態宣言を発令します。

影響は家畜の殺処分だけではありません。口蹄疫のため、宮崎県内で予定されていたこの時期のイベントが数多く中止や延期となります。また、様々な施設(宮崎市フェニックス自然動物園等)も終息まで閉鎖されることになりました。

宮崎・東国原知事、口蹄疫で非常事態宣言 | 日テレNEWS24


国会、政府の対応など


そしてこのような事態に対し、5月28日、被害拡大を防ぐための特別措置法案が衆議院で全会一致で可決。

ちなみにこのあたりこの時期赤松農水相が南米へ外遊に出かけていたのですが、それが口蹄疫の緊急状況の中で必要なものだったかということで野党から非難の対象となり、野党から農水相の不信任案が提出されます(最終的に否決)。

口蹄疫対策特別措置法案 全文(PDF)
赤松農水相不信任決議案/赤嶺議員が賛成討論/与党が否決


義援活動


これらの宮崎県の被害に対して、あちこちで募金などの援助活動が始まります。また個人レベルでも同人誌などの制作物の利益を寄付するなどの動きが数多くありました。そして募金の方は、宮崎県のサイトで公表されているものだけでも総額 3,577,950,355円(平成22年12月27日現在)に上ったそうです。

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口蹄疫の終息


6月までに感染が発見された数は291例。殺処分対象だった家畜は約27万6,000頭になりました。しかし夏に入ると、必死の対策が功を奏したか感染は発見されなくなってきて、7月1日、非常事態宣言を一部解除。その後7月半ばからは発見されなくなり、徐々に制限が解除されてゆきます。
そして発生から130日目の8月27日、終息宣言が出されました。

 

それまでに殺処分など被害を受けた農場は1277件、殺処分された家畜は28万8649頭、川南、都農、高鍋、新富、木城の県東部5町では、すべての牛と豚がいなくなったとのこと。


農家への補償問題


しかし終息宣言ですべてが終わったわけではありませんでした。被害を受けた農家にどう補償を行なうかという問題が残っています。県は畜産業の経済損失を今後5年間で1303億円と試算。食肉加工業や商工観光業など他産業への影響は1047億円としました。

まず、殺処分された家畜の代金、ワクチン代、埋葬費用などへの補償が発表。また1000億円規模の基金の設立もされました。
しかし、農家に対し評価、算出の遅延で支払いが遅れるなどの問題も出て、評価合意分から先払いをする対策もとられていたとのこと。


新燃岳噴火や鳥インフルエンザによる畜産・観光などへの被害


 

しかし、そんな宮崎に再び災害が訪れます。それは2011年1月の新燃岳の噴火。この火山灰により、農地の作物や牧場の牧草などが火山灰の被害に遭ってしまいます。

交通機関も麻痺し、観光事業も停滞してしまうことになります。2010年に口蹄疫が起きた時も韓国球団のキャンプが中止されたのですが、この時はちょうどプロ野球やJリーグのキャンプと同時期に重なってしまい、それら球団のキャンプが中止となってしまいました。ちなみにその後、多くの球団やチームにおいて、先の口蹄疫の時同様募金などの義捐活動が行なわれたことも付け加えておきます。

さらには全国的に散発的に発生していた鳥インフルエンザが宮崎県でも発生してしまいます。
宮崎県、とりわけ畜産業、観光業にとっては、口蹄疫の被害も冷めないまま、新燃岳の噴火と鳥インフルエンザという災害が再び起きてしまうというダブルショックになってしまったわけです。

KAWASAKI FRONTALE:新燃岳の火山活動の影響による「キャンプ中止」のお知らせ
横浜、宮崎キャンプ中止検討…地元合宿へ変更も ― スポニチ Sponichi Annex サッカー
■宮崎で鳥インフルが拡大 41万羽を殺処分 - 47NEWS(よんななニュース) ※リンク切れ


2011年以後のこと


口蹄疫以来の続けての災害の影響は、宮崎県に特に経済的に影響を及ぼしました。宮崎交通はそれらの影響を受けて経常赤字となったとのこと。しかし、他の自治体からの支援として、種牛用の精子が送られるなどの援助もされています。また、秋には復興資金用の宝くじも販売されました。

ちなみに東日本大震災の時は、口蹄疫の時のお返しにと宮崎から義援金の寄付などが行なわれました。
また、しばらく後現地では、県内各地で家畜の慰霊祭が行なわれました。

当時知事だった東国原氏は2010年の退任後、2011年に東京都知事選に出馬、次点で落選。そして2012年12月に行われた衆議院選挙に日本維新の会から比例出馬し当選。しかし2013年12月に離党、議員辞職しました。



ニュースの注目


このように、宮崎でも農業、畜産業、そして観光業に打撃を与えるような出来事でしたし、その夏で完全に終わったわけではなく、農家への補償問題などその後も様々影響を残しています。

しかしながら、東日本大震災以降、宮崎のことをはじめ、他のニュースが扱われるスペースは減ってしまいました。もちろん東日本大震災における被災地の報道や原発報道も重要ですし、報道できる量(紙面、時間)には限界がありますので、需要や緊急性が高い、新しい情報が優先されてしまうのは仕方ないことなのかもしれません(まあ最近震災以前もこういった災害や事件の経過より芸能報道が芸能面のみならず社会面やニュースでも多く扱われてういましたが)。

しかし、このように発生は以前発生し、現在進行形で続いていることについても同時に、継続的に周知されるべきだと思います。そうしないと、今は大きく扱われている東日本大震災における避難民の人達のことも、やがて更に新しいニュースが生まれ、注目度が低くなると報道されなくなってしまう危険性もあるのですから。


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ほか参考

農林水産省/口蹄疫に関する情報
なぜここまで拡大したのか?口蹄疫 - [All About 専門家ニュース] All About
口蹄疫 - Wikipedia
2010年日本における口蹄疫の流行 - Wikipedia


2010.06.19宮崎市商店街に見る口蹄疫
2010.06.19宮崎市商店街に見る口蹄疫 / TomenoNaoki