2014年12月17日に開かれた会見で、アメリカのオバマ大統領が長年国交が途絶えていたキューバとの国交回復について言及しました。キューバ革命、そして東西冷戦の象徴とも言え、あわや世界大戦か、というキューバ危機時代から半世紀経っての国交回復の足がかりとなります。まずはお互いの国に今までなかった大使館を置くなどで話を進める模様。

CNN.co.jp : 米・キューバ、国交正常化へ 半世紀ぶり - (1/3)

さて、アメリカとキューバの問題として、ひとつ思い出したことがあります。それはグアンタナモ米軍基地にあるグアンタナモ収容所(グアンタナモ湾収容キャンプ)のこと。それについては、このブログでも2011年書いたものでした。

2008年、アメリカは大統領選挙の年で、「CHANGE」を訴えたバラク・オバマ氏が支持を集め、当選しました。その大統領選においてオバマ陣営からはイラク撤退、保険制度改革などの革新的な公約がなされておりましたが、その中には「グアンタナモ収容所の閉鎖」というものが含まれておりました。
しかしそれから国内(共和党勢力)の反対で、この問題は頓挫気味でしたが、キューバと国交を回復する面で、これに再び直面することは避けられないと思います。

そこで、ニュースで単語に出てくる前に、「グアンタナモ収容所」とはどういうものなのか、そして今どうなったかについて今日は書いてゆきます。
Honor Bound Guard Tower at JTF Guantanamo
Honor Bound Guard Tower at JTF Guantanamo / The National Guard



対テロの象徴とされたグアンタナモ収容所


まず、グアンタナモ収容所とは何か、というところから。

これは名前の通り収容所で、アメリカの管理下にある施設です。その場所はキューバのグアンタナモ湾に存在するグアンタナモアメリカ海軍基地(何故キューバにアメリカの基地があるのかは後ほど説明します)。

Guantanamo_bay_satellite_image


この収容所は、かつては不法入国者の収容所として活用されていました。
しかし2001年の米国同時多発テロ(9・11事件)以後、アメリカはアル=カイーダ等テロリストを壊滅させるという目的のもと、同年アフガニスタンに進攻、さらに2003年にはイラクにも進攻します。そうしたものをアメリカは「テロの驚異との戦い」としてきましたが、それらの過程においてテロに関係する人物として捉えられた容疑者や捕虜などを収容するのにこのグアンタナモ収容所が使われることになりました。故に、この収容所はアメリカの「対テロの象徴」とされてきた面があります。


キューバ領内に存在するアメリカ軍基地


ここでこの基地のことをあまりよく知らない方は、「あれ?」と思われるでしょう。それはアメリカの軍事施設がキューバにあるということ。世界情勢にあまり詳しくない人でも、アメリカ合衆国と、そのすぐ近くにあるキューバの仲が悪いということをご存じの方は多いと思われます(少なくとも2014年の国交回復交渉が起きるまでは)。

その経緯を簡単に説明すると、1950年代後半まではキューバはアメリカの傀儡政権であるバティスタ政権が統治してきましたが、1959年に起きたキューバ革命により政権が打倒され、社会主義の政権が誕生しました。
ここで活躍したのが、長年キューバのトップとして君臨してきたフィデル・カストロ議長や、革命家として有名なチェ=ゲバラ等です。

 
Che Guevara "The Image That Started It All" / Podknox


しかし、カストロ政権とアメリカとの仲はその後悪化し、逆にキューバはソビエト連邦と協調するようになります。しかし当時は冷戦時代。アメリカのすぐ近くに事実上敵対する国家が誕生することになり、緊張状態になります。

そして1962年、ソ連はキューバに核ミサイルなどを配備したことにより、一気に緊張が高まってゆき、第二次世界大戦の記憶の強く残る当時、あわや第三次世界大戦かという戦慄が世界を走りました(キューバ危機)。

なんとか戦争の危機は脱したものの、その後もキューバとアメリカは事実上の国交断絶状態にありました。
 

では何故、そんなキューバにアメリカ軍の基地があるのかということになりますが、その理由はさらに半世紀遡ります。
キューバはもともとスペインの植民地でしたが、1898年、アメリカとスペインの間で米西戦争が起こります。それによるアメリカの勝利で、キューバはアメリカの保護の元独立します。

そして1903年、当時の政府はグァンタナモの基地を永久租借することを認めました。租借料は年に金貨2000枚だったとのこと。しかし、キューバ革命後のカストロ政権はその存在自体を認めず、租借料も受け取りを拒否してきました。

つまりグァンタナモ収容所はキューバにありながら、その存在をキューバに認められていないということになるのです。

■参考:キューバ危機 - Wikipedia
■参考:米西戦争 - Wikipedia
■参考:グアンタナモベイ

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グアンタナモ収容所の問題


何故これが問題になっているのかというのは、かつて告発されたここでの非人道的な行為が問題という声が世界から挙がっているからです。
具体的には長期にわたる拘束や、厳しい尋問、水攻めや電気ショックなどの拷問など。

捕虜の取り扱いに関しては、非人道的な行為が行われないようにするために、「ジュネーブ諸条約」(俘虜の待遇に関する条約)という国際的な取り決めがあります(国際運転免許証に関する取り決めでも同名で呼ばれる法律がありますが、それは別物です)。
ですが、アメリカはテロリストを戦時の捕虜と見なしておらず、犯罪者としております。

しかし犯罪者であっても、アメリカの法に基づいて裁判を受ける権利を有しますが、前述の通りグアンタナモ収容所というのは、事実上アメリカの統治下にありながら、アメリカ国内にあるわけではないという特殊な状況であります。その特殊性を理由として国内法もジュネーブ条約も適用しないような状況となっているのです。
故に、このグァンタナモ収容所ではそれらの法や条約を無視した非人道的な行為が行われていたと言われています。

ただ、この場所は周りが地雷原であるなど事実上隔離地となっており(故に脱走しにくいここがテロリスト容疑者の収容所になったのですが)、メディアなども近づきにくいという場所にあり、全貌は明らかになっていません。下のサイトに公開された一部の写真があります。

外務省: ジュネーヴ諸条約及び追加議定書
米国を揺るがす基地内の少年拷問 グアンタナモ収容所の深い闇 JBpress(日本ビジネスプレス)
悪名高い米軍グァンタナモ基地秘密収容所の真実の姿に迫る写真集 - GIGAZINE
【画像】グァンタナモ米軍基地(収容所)の写真【テロリスト】 - NAVER まとめ


無実の人まで収容


このような行為が行われたのはテロリストだけではなく、それとは関係のないと思われる人間も多数拘束された人間にも行われていたのが問題をよりいっそう大きくしました。

具体的には難民支援に行ったパキスタン系イギリス人の青年がアル・カイーダの関係者と間違われて拘束され、この収容所に送られたということがありました。この出来事は後に『グアンタナモ、僕達が見た真実』という映画になりました。

 グアンタナモ、僕達が見た真実 [DVD]

また、イラク戦争で名を高め、最近でも革命やデモの様子をスクープする中東の報道機関、アルジャジーラのカメラマンも証拠もないまま長期間拘束されていたとして問題になりました。

グアンタナモ拘束のアルジャジーラカメラマン、6年ぶりに釈放 写真3枚 国際ニュース : AFPBB News


アブグレイブ刑務所問題


このようなテロリストとの戦いのさなか、非人道的な行為が行われた収容所はまだあります。有名なのはイラクのアブグレイブ刑務所における捕虜の虐待事件。

これはイラク戦争における占領下イラクにおいて、アメリカ軍の兵士が捕虜を裸にして積み上げるように命令し、それを写真撮影する、ワイヤーをつなげて電気ショックを行う、女性捕虜にレイプなどを行うなど、非人道的行為を行ったことが報道され、問題になった事件です。さらに、それを米政府上層部が知りながら黙認していたということが、さらに大きな問題とされました。

下の画像は、行われた虐待を非難するもの。

Abu Ghraib: not good for daycare / quinn.anya


その後、アブグレイブ刑務所は閉鎖され、虐待に関わった兵士は裁判にかけられました。
この事件が、アメリカ国民のイラク戦争への考え方に影響を与えた可能性は十分にあります。

虐待はラムズフェルドの決定
アブグレイブ収容所/新たに女性への性的虐待/上院軍事委が容疑調査
■参考:アブグレイブ刑務所における捕虜虐待 - Wikipedia


現在も存在しつつける収容所


そんなグァンタナモ収容所の問題は大きく広がり、ブッシュ政権時代から人権団体など世界各国からの批判が高まり閉鎖が検討されました。

Guantanamo protestGuantanamo protest / futureatlas.com


そして最初に語ったように、オバマ大統領がそれを閉鎖することを公約に掲げることになります。


さて、オバマ氏が当選した後、この収容所はどうなったのでしょうか。

まず、大統領就任後の2009年1月、グァンタナモ収容施設の閉鎖に署名しました。内容は1年以内に代替地を探すというもの。
しかしながら、この収容所の閉鎖に積極的であった法律担当顧問、グレッグ・クレイグ氏が解任されてしまい、1年が経っても閉鎖されないまま現在に至ります。

米国政府は早期の閉鎖に努めるとしているようですが、現在でも170人以上が収容されているということです。
 
閉鎖に踏み切れない要因としては、代替地が見つからないこと、それともし収容者を釈放した場合にテロに復帰しないかというアメリカの懸念があるものと推測されます。

たしかに9・11はアメリカにとって衝撃であったでしょうし、それを引き起こすテロリストへの警戒心がいまだにあるでしょう。しかし、それが法を適用せずに虐待行為を引き起こしてよいという理由にはなりません。実際、無実と目される人も収容され、被害に遭っているのですし。

閉鎖公約の期限が過ぎている今、この収容所のことは国際的に忘れることなく、その存在や今後に注目し続ける必要があるでしょう。

White House counsel poised to give up post - washingtonpost.com
グアンタナモ収容所の今 記者が取材 | 日テレNEWS24
■参考:さらにその後のグアンタナモ収容所: 極東ブログ
■参考:グァンタナモ米軍基地 - Wikipedia


2014年12月追記


最初に書きましたように、2014年12月17日、オバマ大統領が国交回復を目指すと宣言しました。故にキューバとの間に横たわるこの問題にも直面することになるでしょう。

しかし最初に宣言したように閉鎖の方向に向かうとしても、その道のりは簡単ではありません。それは先日の中間選挙で上院下院とも過半数を獲得した現在の野党共和党が、グアンタナモの閉鎖、それとキューバとの国交回復自体に反対の方針をとっていることが大きいでしょう。

今後アメリカとキューバの関係が、グアンタナモ収容所含めあらゆる面でどうなるか、それが世界の注目になることは間違いないでしょう。


2016年1月追記


NHKの報道によると釈放が進み、かつて最大800人いた収容者が2桁の93人に減少したようです。

米グアンタナモ収容所 収容者が2桁に減少 NHKニュース



"Close Guantanamo. My name is Michael" Sign At The International Day To Shut Down Guantanamo Bay, Supreme Court (Washington, DC) / takomabibelot