前回のエントリー(CCCDはそれからどうなったのか)において途中ちょっと触れたもののその後が気になったので調べてみたら、興味深いことになっていたので書いてみます。それは「Napstar(ナップスター)」。
「Napstar」と言えば、その名前を知っている方でも、思いつくものが微妙に違うと思われます。ある人はP2Pによる音楽ファイル共有技術及びそのツールや場。またある人はアメリカを中心に行われたP2Pによる音楽提供サービスという感じで。まず前者から書いてゆきたいと思います。
※このエントリーは、2015/1/1に加筆修正を行いました。
P2P / Txopi
Napstarが生まれたのは1998年のアメリカ。当時ノース・イースタン大学の学生だったショーン・ファニング氏が、大学構内ネットワークで仲間内でMP3などの音楽ファイルを共有する目的で制作したとされ、1999年1月に発表されました。
このNapstarはP2P(ピア・トゥ・ピア)の技術で作成されており、クライアントがあればそのネットワーク内で誰でもファイル交換に参加することが可能となっていました。ただし現在の日本でよく著作権的に違法なファイルがやりとりされることで話題となっていたWinnyやShareとは同じP2Pではあっても仕組みが若干違います。それはNapstarはそのインデックスを振り分けるのに依存するサーバが必要な「ハイブリットP2P」と呼ばれているのに対して、Winnyなどはそういったサーバが必要ない、「ピュアP2P」と呼ばれているものだからです。
■参考:Peer to Peer - Wikipedia
Napstarの登場により、学生たちは音楽の共有がたやすくできるようになり、そのネットワーク上にあるものを自由に手に入れられるようになったため、これはノース・イースタン大学のみならず、ほかの大学にも広まってゆきます。あまりの人気で当時細かった回線を圧迫し、禁止された大学も出た模様。
そして開発をしたショーン・ファニングは1999年5月 、Napstar社を興します。
■参考:Napsterとは - 意味/解説/説明/定義 : IT用語辞典
Napstarは大学以外にもあっという間に広まってゆきます。しかし、Napstarで流通していた音楽ファイルの多くは、著作権者の許可を得ない違法な流通をしていたものでした。そのため、全米レコード工業会(RIAA)やレコード会社は、著作権侵害を理由に連邦地裁に提訴しました。
そしてアーティストのメタリカは2000年4月、Napstar社および大学3校を相手取り、著作権侵害で訴えを起こします。それについてNapstar利用者やファンの間から反発が起こるのと同時に、メタリカを指示する立場のファンやアーティストも現れ、各種企業や団体、はては政府まで巻き込んだいわゆる「ナップスター論争」に発展します。
■Metallica : Napster問題で、メタリカ風刺アニメがネットで大人気 / BARKS ニュース
当時はアメリカでもまだインターネットは発展初期で、いろいろなものに対して前例がなく、この裁判もインターネット上での著作権訴訟の先駆けとなりました。論争が起こったのも音楽ファイルの著作権問題だけではなく、著作権保護を理由にして、自由なインターネット空間に対して政治的な介入が行われる恐れを抱いていた人が多かったと思われます。それはある意味、今も続いている問題ですね。
■参考:音楽交換ソフトのNapster、「合法」を主張
■参考:Napster裁判の“歴史的”意義を考える,21世紀の技術開発に一石 - 米国最新IT事情:ITpro
そして2000年7月、全米レコード工業会(RIAA)に著作権つき楽曲データの発見と排除、つまり事実上の運営差し止めを求め提訴されます。そして原告の請求通りの仮決定が出され、事実上Napstarは運営が出来なくなります。
■米連邦地裁、音楽交換ソフトのNapsterにサービス停止命令
しかし、Napstar社は決定効力が発生するのを留保するよう申し立てると、連邦控訴裁判所がサイトの継続を認める判決を下しました。ちなみにメタリカとの訴訟においては、同時期に和解が成立した模様です。
しかし、上の留保はあくまで一時的なもので、そのままでの存続を認めたものではありませんでした。Napstarはサービスを存続するための提案を行いましたが、RIAA側はすべて拒否することになります。
そしてNapstarのサービスも、2001年3月には中止されます。
■米ナップスターが妥協策を発表,無料のファイル交換サービスを中止へ - ニュース:ITpro
その同時期、原告側だったBMGエンタテインメントの親会社、ベルテルスマンが提携を発表。これによりレコード会社公認のサービスへの道を辿るか、と思われました。
■米Napsterと独Bertelsmannが提携、有料会員制のサービスに移行
2002年5月、ベルテルスマンが買収を発表します。しかし、9月にアメリカ連邦破産裁判所が再建策を却下。ここにNapstarの破産が決まってしまいました。
ついでにベルテルスマンに対しては、後に訴訟が起こされています
■NapsterをBertelsmannが取得 --- Hilbers氏とFanning氏は残留 | ネット | マイコミジャーナル
■「Bertelsmannは自らの利益のためにNapsterの著作権侵害を見逃した」
破産した後のNapstarですが、その知財をCDライティングソフトメーカーのRoxio社が、Napsterが現在係争中の裁判を含めNapsterの抱える債務は含まれないという条件で買収します。
■Napsterの資産、CDライティングソフトで知られるRoxioが買収へ
余談ですが、Napstar開発者のショーン・ファニング氏は、その後合法的な音楽配信の技術を開発を目的としたSNOCAP社を設立したのとこと。
■参考:ショーン・ファニング - Wikipedia
さて、日本におけるNapstarはそれから後のほうが深く関わってきます。そっちも一気に書こうと思ったのですが、Napstar裁判でかなり書き込んでしまってちょっと長くなってきたので、また次回に。
続き
→Napstar(ナップスター)はそれからどうなったのか~有料配信サービス時代編 : Timesteps
「Napstar」と言えば、その名前を知っている方でも、思いつくものが微妙に違うと思われます。ある人はP2Pによる音楽ファイル共有技術及びそのツールや場。またある人はアメリカを中心に行われたP2Pによる音楽提供サービスという感じで。まず前者から書いてゆきたいと思います。
※このエントリーは、2015/1/1に加筆修正を行いました。
P2P / Txopi
Napstarの誕生
Napstarが生まれたのは1998年のアメリカ。当時ノース・イースタン大学の学生だったショーン・ファニング氏が、大学構内ネットワークで仲間内でMP3などの音楽ファイルを共有する目的で制作したとされ、1999年1月に発表されました。
このNapstarはP2P(ピア・トゥ・ピア)の技術で作成されており、クライアントがあればそのネットワーク内で誰でもファイル交換に参加することが可能となっていました。ただし現在の日本でよく著作権的に違法なファイルがやりとりされることで話題となっていたWinnyやShareとは同じP2Pではあっても仕組みが若干違います。それはNapstarはそのインデックスを振り分けるのに依存するサーバが必要な「ハイブリットP2P」と呼ばれているのに対して、Winnyなどはそういったサーバが必要ない、「ピュアP2P」と呼ばれているものだからです。
■参考:Peer to Peer - Wikipedia
Napstarの登場により、学生たちは音楽の共有がたやすくできるようになり、そのネットワーク上にあるものを自由に手に入れられるようになったため、これはノース・イースタン大学のみならず、ほかの大学にも広まってゆきます。あまりの人気で当時細かった回線を圧迫し、禁止された大学も出た模様。
そして開発をしたショーン・ファニングは1999年5月 、Napstar社を興します。
■参考:Napsterとは - 意味/解説/説明/定義 : IT用語辞典
訴訟とNapstar論争
Napstarは大学以外にもあっという間に広まってゆきます。しかし、Napstarで流通していた音楽ファイルの多くは、著作権者の許可を得ない違法な流通をしていたものでした。そのため、全米レコード工業会(RIAA)やレコード会社は、著作権侵害を理由に連邦地裁に提訴しました。
そしてアーティストのメタリカは2000年4月、Napstar社および大学3校を相手取り、著作権侵害で訴えを起こします。それについてNapstar利用者やファンの間から反発が起こるのと同時に、メタリカを指示する立場のファンやアーティストも現れ、各種企業や団体、はては政府まで巻き込んだいわゆる「ナップスター論争」に発展します。
■Metallica : Napster問題で、メタリカ風刺アニメがネットで大人気 / BARKS ニュース
当時はアメリカでもまだインターネットは発展初期で、いろいろなものに対して前例がなく、この裁判もインターネット上での著作権訴訟の先駆けとなりました。論争が起こったのも音楽ファイルの著作権問題だけではなく、著作権保護を理由にして、自由なインターネット空間に対して政治的な介入が行われる恐れを抱いていた人が多かったと思われます。それはある意味、今も続いている問題ですね。
■参考:音楽交換ソフトのNapster、「合法」を主張
■参考:Napster裁判の“歴史的”意義を考える,21世紀の技術開発に一石 - 米国最新IT事情:ITpro
裁判の進行
そして2000年7月、全米レコード工業会(RIAA)に著作権つき楽曲データの発見と排除、つまり事実上の運営差し止めを求め提訴されます。そして原告の請求通りの仮決定が出され、事実上Napstarは運営が出来なくなります。
■米連邦地裁、音楽交換ソフトのNapsterにサービス停止命令
しかし、Napstar社は決定効力が発生するのを留保するよう申し立てると、連邦控訴裁判所がサイトの継続を認める判決を下しました。ちなみにメタリカとの訴訟においては、同時期に和解が成立した模様です。
しかし、上の留保はあくまで一時的なもので、そのままでの存続を認めたものではありませんでした。Napstarはサービスを存続するための提案を行いましたが、RIAA側はすべて拒否することになります。
そしてNapstarのサービスも、2001年3月には中止されます。
■米ナップスターが妥協策を発表,無料のファイル交換サービスを中止へ - ニュース:ITpro
Napstar有料化への動き
その同時期、原告側だったBMGエンタテインメントの親会社、ベルテルスマンが提携を発表。これによりレコード会社公認のサービスへの道を辿るか、と思われました。
■米Napsterと独Bertelsmannが提携、有料会員制のサービスに移行
2002年5月、ベルテルスマンが買収を発表します。しかし、9月にアメリカ連邦破産裁判所が再建策を却下。ここにNapstarの破産が決まってしまいました。
ついでにベルテルスマンに対しては、後に訴訟が起こされています
■NapsterをBertelsmannが取得 --- Hilbers氏とFanning氏は残留 | ネット | マイコミジャーナル
■「Bertelsmannは自らの利益のためにNapsterの著作権侵害を見逃した」
Napstar、Roxio社が買収
破産した後のNapstarですが、その知財をCDライティングソフトメーカーのRoxio社が、Napsterが現在係争中の裁判を含めNapsterの抱える債務は含まれないという条件で買収します。
■Napsterの資産、CDライティングソフトで知られるRoxioが買収へ
余談ですが、Napstar開発者のショーン・ファニング氏は、その後合法的な音楽配信の技術を開発を目的としたSNOCAP社を設立したのとこと。
■参考:ショーン・ファニング - Wikipedia
さて、日本におけるNapstarはそれから後のほうが深く関わってきます。そっちも一気に書こうと思ったのですが、Napstar裁判でかなり書き込んでしまってちょっと長くなってきたので、また次回に。
続き
→Napstar(ナップスター)はそれからどうなったのか~有料配信サービス時代編 : Timesteps