現在、ソーシャルゲームやスマホアプリのみならずコンシューマゲーム機でもダウンロードして遊ぶ事が出来るゲームが増え、家にいながらにしてソフトを瞬時に購入出来るようになりました。しかし以前はゲームを遊ぶためには必ず店舗でソフトを購入しなければいけないという時代が長く続いていました。
そんな時代、町の中にもゲームショップは数多くあり、そこでは新品のソフトと共に、中古のソフトも販売されていました。

しかし、そんな中古ソフトの販売をめぐって、ゲームメーカーとショップが激しく争った時期があります。それは1996年頃から2001年頃、ゲームハードとしては初代プレイステーションやセガサターン、ドリームキャストの時代のこと。

※今回、長くなってしまったので前後編に分割します。後編はこちら
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ファミコン時代と中古ショップ


「中古ソフト」の歴史は古く、すでにファミコンが大人気となり多くの家庭に普及した1980年代の後半にさしかかる頃には、ファミコンソフトの買取りと販売を行う中古ソフト店は数多く登場していました。この頃はゲームソフト専門店ばかりではなく、ビデオレンタル店や書店などが中古ソフト売買も扱うというケースが多く見られました。初期にはソフトをレンタルする店というのも存在しましたが、さすがにそれはメーカーが排除に乗り出すことにより、消滅してゆきます。
そしてスーパーファミコンの時代に移り変わった1990年代になると中古ソフト産業も整備され、それを専門に扱う店舗も増え、それらがチェーン展開をしてゆきます。そしてゲーム雑誌などでもそれらの店の広告が掲載されることが数多くありました。

この時代から中古ソフトを扱う団体というものは存在しており、1992年には複数の中古ソフト取扱チェーン企業が集まり、「ジャパンテレビゲームチェーン協会」という団体が設立されています。ここに参加していた企業は、「カメレオンクラブ」を運営する株式会社上昇、「わんぱくこぞう」を経営するアクト、「ドキドキ冒険島」を経営するボックスグループ、「TVパニック」を経営する明響社、ブルート(同名義の店経営)など7社。
最盛期の店舗数はブルートの400をはじめとして各社が全国に数十から数百の直営、フランチャイズを持つほどの大規模なものでありました。また、中古ソフトと新品のソフトが同じ店舗で普通に売られていました。ただし値引率はビックカメラやヨドバシカメラなど都市部の量販店のほうが大きかったので、これらの店舗は主に郊外や地方での展開が多かったように思えます。


SCEのゲーム事業参入と流通改革


1994年12月、ソニーコンピュータエンタテインメント(以下SCE)が「プレイステーション」を販売してゲーム業界に参入。同時期に発売されたセガのセガサターン、3DO社のライセンスを受けてパナソニックが国内で販売した3DO real、さらに少し遅れて1996年に任天堂が発売したニンテンドウ64を含め1990年代の次世代機戦争が勃発します。
ここで新たに加わったSCEは、それまでの任天堂やセガのゲーム流通とは異なる、新しい流通網を生み出します。それはファミコン時代まではメーカーと小売りショップとの間に問屋が一次、二次と入っていたのですが、そこの中間過程を整理し、メーカー(SCE)とショップが直接取引をするようにというもの。これにより、メーカーが流通を把握できると同時に、リピートなどの対応を素早く行えるとされました。もちろん直接取引によるSCE側の利益も当然あったでしょうが。
それまでのゲーム流通の中核であった任天堂を中心とした「初心会流通」については、自分が過去、ブログで書いたのでご参考までに。

初心会流通などかつてのゲーム流通について語ってみる | ゲームミュージックなブログ

しかしその時、SCEはプレイステーションのソフトをショップに卸すにあたって、二つの方針を販売店に強制します。それは「再販価格維持」、「同業他社へ在庫転売禁止」そして「中古品売買禁止」。
それまでほぼ拘束なく中古ショップは中古ソフトの販売、買取りが出来ており、巨大な市場となっていましたが、このSCEの方針は事実上それを否定するものであり、激震が走ります。
特に1996年後半になると、他のハードに対してプレイステーションの優勢が色濃くなり、事実上プレイステーションのソフトの取り扱いがショップにとっても大きな幅を占めることになってきます(この頃はまだ据置機のソフトが主流で、携帯機ソフトの市場が大きくなるのはもっと先、21世紀に入ってからになります)。そこでそれまで中古を扱っていた小売店には新作ソフトの出荷に影響を及ぼされることとなり、ショップにとってはさらに重い問題としてのしかかってきます。


CESAの中古ソフト撲滅キャンペーン


同じく1996年にゲームメーカーの団体「コンピュータエンターテインメントソフトウェア協会」(以下CESA)が結成され、そちらも多くのゲームメーカーが所属するという性質上中古ソフト反対の立場を推進する団体となります(ただし任天堂は設立時の経緯などからCESAには正会員として参加せず。今も「特別賛助会員」という特殊な立場になっています)。
CESAは今も続く東京ゲームショウの主催団体でもありますが、1997年に行われた第2回の時あたりから中古ソフト撲滅のキャンペーンを展開していました。下の写真は、1997年春の東京ゲームショウパンフレットの中にあった中古ソフト啓発に関するページ。

CESAの中古禁止アピール

ここでは明確に「ゲームソフトメーカーは、ソフトウェアの無断複製、中古販売は一切許可していません。中古ゲームソフト売買の撲滅にご協力下さい」と、強い感じで、それこそ無断複製と並べられて中古ソフトの販売を否定していました。

さらに、コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)やパソ協もメーカー側に賛同し、この後中古ソフト撲滅推進の中核団体となります。
 
CESA、パソ協が中古ソフト撲滅キャンペーンを展開


ゲームソフト販売ショップ企業がARTSとGRAを設立


これらの中古ソフト撲滅方針を受け、当然ショップ側ではそれに対する対応が検討されます。しかしSCEに対立してでも中古販売を行ってゆくか、それともSCEの方針を受け入れて中古販売の禁止を受け入れるかという企業間の対立が生じます。その対立により、ジャパンテレビゲームチェーン協会は解散状態となります。

その時メーカーに対して穏健派、すなわち中古ソフト販売停止もやむを得ないと考えた企業は、1996年「テレビゲームビジネス協議会」(以下、GRA)が結成。こちらの参加企業は上昇や明響社、ブルート、ボックスグループなど。
一方、メーカー主張に対立し、中古販売を行うとした企業は「テレビゲームソフトウェア流通協会」(以下、ARTS)を設立。こちらの参加企業はアクトなど。

1997年1月には、PSのキラーソフト、『ファイナルファンタジーⅦ』が発売され300万本を超える売り上げを達成。それらによりプレイステ―ションの優位が鮮明になりますが、対立派であったARTS加盟店には、当時のショップ側のコメントによるものでは新品ソフトの納品カットなどが行われていたと言われています。

しかしそんな中、1997年、「カメレオンクラブ」の株式会社上昇がGRAを脱退し対立派のARTSに合流。その後、上昇の抜けたGRAの所属企業を中心として、1998年4月に新たにテレビゲーム専門店協会(以下ACES)が設立。参加企業は明響社、ブルート、いまじん、コングシステムズ、ボックスグループなど。ここではこの頃激しくなっていたメーカーとの争いからは一定の距離を置くものとされましたが、事実上は中古ソフトを販売しない方針などメーカー側に従う方針だった模様。


激化する中古ソフト撲滅運動、そして裁判へ


1998年に入るとCESA、ACCSを中心としたの中古ソフト反対キャンペーンは激しくなってゆき、PSソフトには「中古販売禁止の非許可を表示」がなされるようになります。以下は1989年あたりに発売されたドリームキャストソフトの裏面(『クライマックスランダーズ』)。

クライマックスランダーズ
中古販売禁止マーク
マークと共に「当社は本ソフトの複製・改変・レンタル・中古販売は一切許可しておりません。権利者の許可なく、これらを行った場合には法的処置を取る場合がありますのでご注意ください。」と書かれています。

そんな中、1998年6月、SCE、カプコン、コナミ、スクウェア、ナムコの5社が同社のゲームソフト販売差し止めと廃棄を求めて中古ゲームの販売会社、(株)ドゥー!(家電量販店ノジマ傘下)を東京地裁に提訴。
その後7月、前述5社にセガを加えた大手6社が、わんぱくこぞうを展開する株式会社アクトを相手取り、中古ソフト差止め訴訟を大阪地裁に起こします。

しかし、逆に株式会社上昇がエニックスを東京地裁に提訴。これはエニックスが中古ソフトを扱う場合、新作発売の9ヵ月後以降に限ること、かつ売り上げの7パーセントを同社に支払うという契約書を渡していたものの、同社がそれを拒否、その結果ソフトの出荷が停止されたことからのものになります。
ちなみにエニックスはその方針のためかソフトのマークに書かれていた文面が若干異なっており、「○年×月●日までは一切許可しておりません。△年■月□日より認めます」と時期を区切る表示をしていました。下の画像は1999年発売の同社『プラネットライカ』。
プラネットライカ

最初の裁判においては、1999年の3月、被告の(株)ドゥー!が裁判の最中に主張を転換させて原告側の請求を認諾し、頒布差し止めを認める形で決定となります。
しかし大手6社とアクト、それにエニックスと上昇の裁判はそれぞれ大阪地裁と東京地裁で行われることになります。

ASCII.jp:ゲームソフト大手5社、中古販売店を提訴
ASCII.jp:『ファミコンショップDo-!』、中古ソフトの販売差し止め命令を受け入れる


ゲームソフトにおける「頒布権」の主張


さて、この中古ソフト裁判においては「頒布権」というものが焦点となりました。
著作権法の2条3項には、
この法律にいう「映画の著作物」には、映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され、かつ、物に固定されている著作物を含むものとする。
という条文があります。メーカー側はこの定義がゲームにも含まれると主張。そしてこの「映画の著作物」には「頒布権」という著作権者が複製して占有頒布する権利が発生するのですが、これが中古の売買時にも消えずに残り続けるため、中古ソフトの販売は著作権違反、という主張がなされました。
反面、中古ショップ側は、この頒布権は映画のフィルムのような上映を前提とした限られた場合に適用されるものであり、ゲームソフトの流通においては異なる(中古売買時点では頒布権は消尽している)と主張します。

この「映画の著作物とゲームは同じ扱いのものか」「頒布権はどこで消尽するか」が今後の裁判の焦点となります。


独占禁止法問題


さて、ここより中古を取り扱うショップ側とメーカー側の裁判が開始されるわけですが、その一方でこのゲーム流通に対してとある出来事が起こっていました。

裁判が始まる前より溯って2年前の1996年5月、SCEが独占禁止法違反容疑で公正取引委員会立ち入り調査を受けます。容疑は店舗に対する価格拘束の件。つまり「再販価格維持」の方針のもと、値引きを認めずに希望小売価格で販売するように小売りに強制したというもの。
そして1998年1月に、SCEに対しては公正取引委員会が排除勧告を行います。ここではSCEがPSソフトやハードの販売に関して、小売や卸売業者に値引き販売禁止、中古品の取り扱い禁止、横流し禁止を要求した事実が問題となりここより、数年にわたり審判が開始されることになります。ARTS側が徹底抗戦を動機としては、この公正取引委員会の動きも少なからずあったことでしょう。

CESA、SCEに対する公正取引委員会の勧告に関する見解を発表
ASCII.jp:公正取引委員会が、“プレイステーションの独禁法違反問題”第2回審判を開催


次回の後編では、地裁判決から高裁判決、そして最高裁判決への流れ、さらにはその後のメーカーやショップなど業界のことについて述べます。

中古ゲームソフト裁判はそれからどうなったのか(後編・最高裁判決とその後) : Timesteps