『ホテルニュージャパン』というものをご存じでしょうか。多少年配の方なら、「ああ、あの火事のホテルね」というのがわかるでしょうし、それより若い人でもその跡地の存在を知っている方も多いと思われます。私も学生時代一度近くを通ったことがありますが、まだその頃は更地にもなっておらず、火災のあとのまま放置されていました。それが1990年過ぎくらいのこと。

さて今はどうなったでしょうか。今日はそれについて書いてみようと思います。
火災報知器
火災報知器 / ColdSleeper



昭和の代表的火災事故「ホテルニュージャパン火災」


まず、「ホテルニュージャパン火災」について。
1982年(昭和57年)2月8日、東京都千代田区永田町にあるホテル、「ホテルニュージャパン」の9階から出火、火災となりました。その日は海外、とりわけ台湾や韓国からの宿泊客が多く、9階と10階に宿泊していた103人のうち、33人が死亡、24人が重軽傷となる大惨事となりました。当時、永田町近辺だけでは足りず、都内あらゆるところから消防車が出動しました。

火災の原因は、外国人客の寝タバコが直接の原因ですが、それだけではこの大惨事には繋がりませんでした。ここまでの被害を引き起こしたのは、火災対策の不備。消防庁から再三指導を受けていたにもかかわらず、スプリンクラーをろくに設置せず(そもそもそのための配水管を通していなかった)、防犯ベルも不備であり、且つ従業員も教育不足で緊急時の対応がとれなかったことなどが大惨事へと繋がりました。
もともとこのホテルは乗っ取り屋と呼ばれた横井英樹氏により買収されたホテルだったのですが、経営面では周りのホテルに比べて苦戦を強いられたことから、徹底的なコストカットによって利益を確保しようとしたようです。しかしそのしわよせが防災設備にも及び、結果として大惨事に繋がってしまいました。

この火災は当時大々的に報道されましたが、その時の横井英樹氏の対応が非常にまずく、反感を買うことになります。具体例としては、死人が出ている火災発生現場で報道陣に対して拡声器で「本日は早朝よりお集まりいただきありがとうございます」と状況を顧みずに言い放っていたこと、その後、出火させた宿泊客に責任転嫁する発言をしたこと、火災当時、従業員に高級家具の運び出しを優先指示したとされること、特別救助隊隊長の高野甲子雄氏に贈賄を図り、怒ってつっかえされたことなど。チョーネクタイの横井氏の姿は、その当時日本中で悪い意味で有名となりました。

この時の救助の模様は、昭和の事件を扱う時にはよく放映されています。ちなみのその時特別救助隊長をされていた高野甲子雄氏は、小金井市小金井消防署長を務められたあと定年退官されたとのこと。
余談ですが、この翌日、羽田空港で日本航空350便墜落事故(逆噴射事故とよく言われる)が発生し、24人が死亡しますが、この大規模火災の消火にあたっていた東京消防庁が、また対応に追われるということになりました。

ちなみに横井氏の経歴を詳しく見ていると、マンガ『銀と金』に見られるような、昭和の裏経済史みたいなものが見えて興味深いです。

横井英樹:歴史が眠る多磨霊園
■参考:横井英樹 - Wikipedia
■参考:ホテルニュージャパン火災 - Wikipedia


10年以上そのまま放置されたホテルニュージャパン跡


その後、火災の起きたビルは営業禁止処分を受け経営を停止。しかし取り壊されることもなく、ずっと放置されていました。というのは、このホテルは火事の後、千代田生命保険が担保として取得したのですが、ここを競売にかけても全く売れなかったからです。故に千代田生命保険が自己落札し、敷地を所有することになりました。 ちなみに地下には「ニューラテンクォーター」という、力道山が刺殺されたことで有名なナイトクラブがあったのですが、こちらは別経営で1989年まで営業していたとのことです。
しかし、都内の一等地、しかもバブル景気にもかかわらず、ここは火災時のまま放置されることとなります。そのため、周りが立派な建物の中に残る異様な光景として、別の意味で有名になりました。起きた事件が事件なので、霊感スポットにもされたそうです(あまりこのテの事件が起きた場所を霊感スポットとするのは好きではないのですが。まあ私が霊感が皆無だからかもしれませんが)。
以下は、その当時の写真(Wikipediaより)。

ホテルニュージャパン火災後

ファイル:Hotel-New-Japan (1993).jpg - Wikipedia

2001年9月に起きた新宿歌舞伎町ビル火災のビルも、長い間火災が起きたまま放置されていましたが、このような火災を起こしたビルの処理というのは一つの問題となるのでしょう。まあ火災に限らず経営破綻とかで解体されず放置された場合もそうですが。

新宿歌舞伎町ビル火災事件はそれからどうなったのか : Timesteps


ようやく再開発


さて、そんな跡地も1996年になってから千代田生命が再開発事業に着手し、ようやく解体され更地になりました。そして再び新しい建物が出来る、と思ったのですが、その後2000年、千代田生命が破綻します。
そこで外資系のAIG(アメリカン・インターナショナル・グループ)が支援、AIGスター生命が経営を引き継ぎます。そしてその時、ホテルニュージャパン跡地は同じく外資系プルデンシャル生命に売却されました。
そしてプルデンシャル生命は森ビルと共同で再開発、そこに2002年、プルデンシャルタワーが完成します。
そこは地上38階、塔屋1階、地下3階、プルデンシャル生命のほか多くの会社がテナントとして入り、上層階は高級賃貸マンションになっているとのことです。

プルデンシャルタワー:レストラン&ショップガイド/eHills Club

■参考:ホテルニュージャパン - Wikipedia
■参考:プルデンシャルタワー - Wikipedia


現在の防火体制


最近のビルやホテルは、基本的にどこも防災対策がきちんとしており(そうしないと許可が下りない)、ホテルニュージャパンのような惨事は昔よりは起きにくくなっています。しかし、古い建物、もしくは小規模なところでは対策がなされていない場合があります。または建物が基準を満たしていても運用がまずくて火災になってしまった時に大惨事になるケースも数多くあります。故に、今でも宿泊施設に泊まるときは宿泊施設側だけに頼らず、避難経路を面倒でも確認するなど、万が一を心得ていた方がよいでしょう。

■参考:起こるべくして起こった老人施設「たまゆら」火災 東郷 幹夫の思いつくまま日記/ウェブリブログ