数年前、ネットで盛り上がっていた話題があります。それは京都の帆布製品の老舗、一澤帆布問題。それについて2008年にエントリーとして書きました。しかし、最近、なんかまたアクセスが増えている状態です。
おそらく以下のニュースから連想した方が多いのではないかと思われます。

大塚家具株、勝久氏が4.9%売却へ 新会社運営資金か:朝日新聞デジタル

せっかくの機会ですので、こちらも2008年から色々変化もあったようですので、それの追記も加えて書き直してみようと思います。

※この文章は2008年に書いた初稿に、2015年8月19日に大幅追記しました。
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DSCF6494 / chinnian



京都の老舗、一澤帆布と相続問題


一澤帆布とは、前述の通り京都の老舗帆布屋です。もともとは職人用のかばんとして作られ、販売されたものだったのですが、その質は高く、近年では一種のブランド品的な扱いも受けていました。

しかし、2001年3月15日に、仙台の一澤信夫氏が亡くなった後、相続問題で一悶着が起き、裁判になってしまいます。まあこれなら良くある話なのですが、ネット上でこの問題がクローズアップされたのには理由があります。それは「遺言状」の問題。

まず先に、故人には長男の信太郎氏、三男の信三郎氏、四男の喜久夫氏の3人の息子がいました(次男は故人)。そして長男は銀行勤務、四男は退社済みで、三男の信三郎氏が代表取締役を務めておりました。そこから話が始まります。

先代は顧問弁護士に遺言書を残しており、それの中身は会社の保有株67%を三男夫妻に、33%を四男に、銀行預金のほとんど等を長男に相続させるというものでした。これの場合、株の2/3を握る三男が店を相続する形となります。


二つの遺言状


しかしここで、長男が生前に預かったと言われる遺言書を提出。遺言書が2通ある場合、民法の規定であとに書かれたものが優先しますが、これは前のものより後の日付でした。これが。そして内容は、株式80%を長男に、20%を四男に相続させるというもの。こうなると長男と四男で、会社のほぼ2/3の株を取得します。

ただ、この遺言書に三男は疑問を持ちました。自分の相続に対して触れられていないのはもちろんですが、最初の遺言書が実印なのに対して、ふたつめは「一澤」ではなく「一沢」になっていること(先代はこの「一沢」と表記されるのが嫌いだったらしい)、さらに遺言書は、日付の日には先代は文字を書くのも困難だったにもかかわらず、ボールペンで書かれていたことです。

よって、これを偽造したものとして、三男は無効を求め提訴します。
しかし、この裁判は最高裁まで行った結果、「無効と言える十分な証拠がない」として認められずに2004年12月に三男側の敗訴が確定しました。そして長男側は三男を解雇。


一澤帆布からの職人離脱と一澤信三郎帆布設立


しかし、最高裁の決定前に三男は「一澤帆布加工所」という別会社を設立しました。その時社員は全員その会社に移り、「一澤帆布工業」(店の会社)から店舗と工場を賃借する形で製造を継続していたということ。

そして2006年3月1日に、強制執行により取締役を解任された三男は、「一澤帆布工業」、すなわち店舗及び工場の明け渡しを求められます。しかしながらこの時、「一澤帆布加工所」に転籍していた社員全員も長年現場の責任者だった三男に従い同時に退去。その結果、製造する人員が一澤帆布に全く残らない結果となり、数日後、店を休業します(なんだか出版社のお家騒動と似てますね)。

その後、「一澤帆布加工所」は工場と店舗を確保し、販売会社として「一澤信三郎帆布」を設立し、新しく店舗を設立。そして新ブランドとして営業を開始します。従来の原料の仕入れ先も一澤信三郎帆布に卸を続けました。

この時言われていたのは、京都で場所を確保するのは並大抵のことではない。それで確保したということは、京都の人が三男側の味方についたということ。ソースはないのであくまで噂になりますが、京都の町では昔からの寺社が影響力を持ち、裁判中もその仲介に回ったが、長男側が蹴った結果、京の町を昔からの三男側につかせてしまったという話。  そのうち一澤帆布側も職人及び新しい仕入れ先を確保し営業を再開。そのまま2店ともに営業を行ってきました。


一澤帆布問題はそれからどうなったのか


そして、2008年に起こった動き。

遺言状について新しく裁判が起こされており、それは三男の妻が長男を相手に、遺言書の無効確認などを求めていたというもの。そして地裁では棄却されましたが、先日の高裁判決は、、「重要な文書なのに認め印が使われるなど極めて不自然。真正な遺言書とは認められない」と、遺言書無効の判決となりました。その結果、株式の相続が1枚目のものに戻るため、株を取得したこと、それにより議決権を得て三男を解任したことも無効となります。

骨肉の争いが形勢逆転、「筆跡」巡り割れた最高裁判決:日経ビジネスオンライン


ふたつの異なる判決は矛盾しないのか


さて、この判例には考察に値することがいろいろ存在します(以下、私は法の専門家ではないので細かい部分であやしいところがあるかもという前提で読んでください)。

まず何故三男の妻が訴えたか。それは一事不再理の原則により、一度判決が出たものは同じ案件では訴訟をすることが出来ません。しかし、一事不再理の効力は当事者、つまり三男にのみ及ぶため、もうひとりの相続人である(「夫妻で相続」なので)妻が訴えたという形でしょう。

さらに、同じく遺言状の有効性を争った前判決とこの高裁の判決は矛盾しているようですが、何でこんなことが起こるのか。実はこれは法律的には矛盾してません。最初の裁判で争点となったのはその遺言状が「本物」か「偽物」かということ。極論、その内容は無視されるのです。で、これは偽物と認定する証拠はないとされ、三男側の敗訴となってしまいます。しかし今回の判決はそれが「有効」か「無効」かというのが争点となっています。その結果、「不自然な点がある」ということで「無効」という判決が下されたのです。

つまり、「本物」か「偽物」かは、先代が書いたかどうかで争われますが、今回はその争点ではなく、たとえ先代が書いたとしても「有効」か「無効」かというのを争点にして争われたということ。その結果無効になったということでしょう。その結果、論理的には矛盾のように見えても、法律的には整合がとれているということになっているようです。


労使紛争


ここから2015年の追記になります。

その後、上記裁判の上告審が2009年6月に行われ、高裁判決を支持、長男の上告が棄却されました。そしてこれにより遺言は無効となり、先に三男らの取締役解任を決定した株主総会決議は取り消されるという判決が確定しました。

しかしその後の、2009年7月、三男夫妻が一澤帆布代表取締役に復帰するのですが、その時に新たに採用されていた従業員に対し、自宅待機を命じ、希望退職者を募ることになります。

その退職勧奨に反発する一部の従業員達が、労働組合を結成。2009年12月に、地位確認と休業中の賃金全額支給を求めて、京都地裁へ提訴することになります。その後従業員全員に解雇予告通知書が送付されたとのこと。

その裁判の結果、2010年7月に、「解雇ではなく労使双方が合意の元で退社」として、会社側が従業員側に計約1800万円の和解金を支払う内容で和解が成立したようです。

■(archive)一澤帆布労働組合: 一澤帆布労働組合員によるブログ開設。
■(archive)一澤帆布労働組合: 12月 2009
一澤帆布の賃金訴訟、従業員らと和解成立 京都 | 相続相談ナビ


新たな訴訟


そして2009年、また新たな訴訟が起こっております。

前述の長男側が差しだした遺言書が無効とされたことを不服として、長男側が京都地裁に提訴し、会社の株主権や経営権などを求めました。それに対し2011年の京都地裁の判決は、長男と三男の間に限定しての株式相続権のみ認めるがその他は棄却というもの。それを不服として控訴。

ただ、その控訴の結果もすでに出ているはずなのですが、調べても出てこないので(ソースが不明瞭なものはあるけど、ウラがとれないので)詳しくはちょっとわかっておりません。情報を見つけ次第追記します。


店舗の状況


さて、店舗の状況ですが、2009年の裁判の結果を受けて三男夫妻が一澤帆布の代表取締役に復帰した後、休業となりました。

しかし、2011年4月、一澤信三郎帆布は、元の一澤帆布の店舗に戻り、そこで「信三郎帆布」「信三郎布包」に加えて、「一澤帆布製」の取り扱いも開始することになりました。

一澤帆布に三男・信三郎氏再び 4月元店舗で新装開業 | 2011年03月28日 | Fashionsnap.com
一澤信三郎帆布から大切なお知らせ | 一澤信三郎帆布

一方四男の喜久夫氏は、新ブランドとして「帆布カバン喜一澤」(きいちざわ・喜は正確には七を3つ使った漢字)を2010年7月に開店。こちらも営業しております。

帆布カバン 喜一澤



今後は


さて、ここに書いたこともすでに最新のことでも3年が経とうとしており、信三郎帆布、帆布カバン喜一澤とも、店舗の営業も落ち着いてそれぞれやっているという感じです(すくなくとも報道で見える限り)。

いろいろあって分裂しそれぞれでやっている製品や組織が多数あるように、こちらも独自の発展をしてゆくのでしょうか。まあ帆布鞄という製品自体ブームとかですぐ消えるものではなく長い時間使われてゆくものですから、その結果はもう何十年先にならないとわからないでしょう。


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■参考:一澤帆布工業 - Wikipedia