3月11日、東北及び関東で大震災が発生いたしました。被災された方には心よりお見舞い申し上げます。

さて、震災後の現在、ネット上ではいろいろな情報が流れており、それらには誰かにとって有益な情報もありますが、その中には明らかにデマと思えるものも流れています。しかしこういったデマはネットだからではなく、今までも流れ、そして大きなものになると社会を大きく動かしてきたという歴史があるのです。

というわけで、今回もデマに流されないという教訓を学ぶ意味でも、過去に起こった大きなデマ、そしてそれがどうなったかを書いてゆこうと思います(画像は大正の関東大震災時に警視庁から出た注意喚起文章)。
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関東大震災における朝鮮人暴動のデマ(1923年)


これは日本史の教科書でも載っているので、ご存じの方も多いでしょう。1923年9月1日、関東を大震災が襲います。

その混乱の中、朝鮮人が暴徒化した、井戸に毒を入た、放火して回っているといったデマが走ります(少なくともそのようなことが行われた事実は確認されていない)。そしてそれを真に受けた新聞までもがこれを報道することになります。

Osaka-AsahiShinbun_(September3-1923)


そこで自警団が組織され、朝鮮人、それと中国人に対しての暴行、殺害が行われるということになってしまいました。

しかしこの事件、実は朝鮮人だけではなく、日本人も殺害されていたのです。というのは自警団とされる組織が日本人と朝鮮人を見分けるために使ったのが「15円50銭」と言わせたり(発音が違うので)、当時の小学校で必須だった「教育勅語」を暗誦させたりしました。しかし日本人でも教育をろくに受けていない人や、地方出身の人は訛りでうまく発音できず、それのために殺された人もいたとのこと。

このような大災害で起こった事態であったため、加害者、被害者ともに特定が非常に困難であり、殺害された人数は現在も見解が分かれていて、当時の政府の調査では233人程度とのことですが、大韓民国臨時政府の機関紙「独立新聞」では6661人と幅が分かれています。


あと、この関東大震災のゴタゴタの中、アナーキストの大杉栄、伊藤野枝、大杉の甥で6歳の橘宗一が憲兵隊に連行され、殺害されたという甘粕事件が起こります。
この後主謀者とされた甘粕正彦は懲役10年となりますが、いつのまにか釈放され満州に渡り満州事変に関わり、そして満州国の設立と、そこで実権を持つことになります。映画、『ラストエンペラー』にて、坂本龍一が演じていた役ですので、記憶している方も多いかと。

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東京渡辺銀行取り付け騒ぎ事件(1927年)


1927年、時の大蔵大臣片岡直温が「東京渡辺銀行がとうとう破綻を致しました」と発言。それにより預金者が銀行に殺到し、取り付け騒ぎが発生。そして東京渡辺銀行は閉店してしまいました。

ただ、渡辺銀行は破綻はしていなかったものの、経営はかなり危なかったらしく、全く根拠のないデマというわけでもないのですが、また潰れていないものを潰れたと言い、取り付け騒ぎを招いた時点で大臣の発言としては非常に不適切だったでしょう。

結局この取り付け騒ぎを理由に閉店。この出来事や鈴木商店の倒産が昭和恐慌にと繋がってゆきます。


石油ショック時のトイレットペーパー枯渇事件(1973年)


そして戦後。
1973年、中東の原油生産国が価格を引き上げるという発表がなされ、それにより当時の通産大臣であった中曽根康弘が紙節約の呼びかけを行いました。

しかしその後、とあるスーパーの広告にて(激安の販売によって)「紙がなくなる!」と書いたところ、客が殺到。さらにその動きが飛び火してゆきます。
そしてこの時には、便乗しての値上げや、悪意の買い占めを行った人もいるとのこと。

ですが、11月12日にトイレットペーパー等の紙類4品目を生活関連物資等の買占め及び売惜しみに対する緊急措置に関する法律に基づく特定物資に指定し、翌1974年1月28日には国民生活安定緊急措置法の指定品目に追加して標準価格を定めた結果、冬が終わる頃には供給が回復し、騒動も終わりました。

この時に買い占めた人は在庫がかなり残った人もいるといいます(トイレットペーパーなんてそうそう消費できるものでもないので)。また、噂レベルなのですが、とある買い占めを行った商社は大損をしたという話も囁かれ、当時のことを知る人はいまでも言う人がわりといます。

■参考:トイレットペーパー騒動 - Wikipedia


豊川信用金庫事件(1973年)


1973年、「豊川信用金庫が倒産する」という噂(デマ)から取り付け騒ぎが発生し、短期間に約26億円もの預貯金が引き出されるという事態が発生しました。

しかし、デマの中にあった「理事長が自殺した」というのが、理事長が前に立って説明したことから、噂の信憑性が薄れ、収束に向かってゆきます。

その後警察が調べてゆくと、その噂の発信源は女子高生の雑談。それも「銀行は(強盗が出るので)危ない」というものが、伝言ゲームで間違った形で伝播されてデマに繋がったという、希有な形のものでした(そしてそのルートが判明できたこと事態も希有)。

こちらの事件は誰にも悪意があったわけではなく、自然発生的に生じたものとして、特に処分された人などはいなかったとのこと。また豊川信用金庫は今も営業しています。



■参考:豊川信用金庫事件 - Wikipedia


カイワレ風評事件(1996年)


1996年、O157による食中毒事件が発生し、死者が出ました。その原因として厚生省(当時)がカイワレが疑われると発表してしまったせいで、カイワレが全く売れなくなり、農家及びが壊滅的な打撃を受けてしまいます。

しかし、後の立ち入り調査ではO157は検出されませんでした。

その後風評被害を受けたカイワレ大根生産業者らが国家賠償を求める民事裁判を起こし、平成15年5月21日、最高裁で国側敗訴の判決が確定しました(判決文。pdf注意)。

ちなみにこの時、当時の厚生大臣だった菅直人元首相がカイワレを食っていた映像は有名です(とはいっても判決には納得をしていなかったようですが)。


ニュースステーション所沢野菜事件(1999年)


1999年の2月1日におけるニュースステーションの報道で、埼玉県所沢市の葉物野菜から高いダイオキシン濃度が検出されたと報道、その結果、所沢の野菜が市場から閉め出されてしまうことになります。

しかしここでダイオキシンが検出されたものは葉物野菜ではなく煎茶であり、茶は乾燥しているため本体重量が軽く、生鮮野菜と同量のダイオキシンが見かけの上で多く計算されることによるものだったため、実際には影響のないものだったようです。

その後、農家がテレビ朝日に対して損害賠償請求を起こします。一審、二審はテレビ朝日の勝訴でしたが、最高裁で高裁差し戻しの判決。その後2004年6月、和解が成立した模様。

所沢ダイオキシン騒動(99年2月~)
■参考:ニュースステーション - Wikipedia


佐賀銀行倒産デマ事件(2003年)


2003年の12月、とある女性が「佐賀銀行が倒産する」という根拠のないメールを出した事が広まってしまい、さらにそれまでの佐賀における倒産状況などから不安が誘発され取り付け騒ぎが発生。引き出し・解約されたりした預金は約500億円に上ったそうです。



こちらはメールを出した女性が書類送検されたものの、不起訴で終了したとのこと。尚、佐賀銀行は現在でも営業しています。

こちらは携帯電話が普及してから発生した社会に影響を及ぼすデマとして注目できます。

■参考:佐賀銀行デマメール事件研究


デマに惑わされないために


総じて、デマにはこのように、危機から自然発生したもと、誰か(たいてい目立つ立場の人)の発言が引き金になったもの、両方ある感じですね。

このようにデマというのものは、このようにネット時代に限らず昔から存在します。これは総じて何か自分のみにふりかかる危機があった時、過剰に働く防衛本能がら生まれるものであると言ってよいでしょう。今回は割愛しましたが太平洋戦争中や終戦後もいろいろデマが流行ったと聞きます(GHQは日本人を断種に来るなど)。

たしかに危機から自分や近しい人の身を守りたい気持ちはわかりますが、それで危機の方の情報にだけ耳を傾け、正確な情報を得る事を捨ててしまうと、かえってマイナスを招きかねないと考えます。
それは今回の震災でも同じ事が言え、大切なのはマイナスの情報に踊らされることではなく、信用できる情報を得る努力をすることでしょう。