「インパク」というものをご存じでしょうか。10年前、政府が自らインターネットへ積極的な展開をしたものでしたので、報道などでもとりあげられ、覚えていらっしゃる方も多いと思われます。

しかし、どのように始まり、どのようなものがあり、そしてどのように終わったのかをご存じの方はわりと少ないのではないでしょうか。
ただ、少しでも知っている人の中でも、プラスの印象よりマイナスの印象を持っている人のほうが多いかもしれません。
 
というわけで、今日は2000年大晦日から1年間行われた、インターネット博覧会、インパクについて。



政府主導の大規模インターネット博覧会


まず、「インパク」とは何か。これは2000年12月31日から2001年12月31日までの一年間、インターネット上で行われた博覧会を模したイベントです。
それまでは、まだインターネットは普及する前で、ユーザーも限られた範囲の人間でした。しかしこの頃PCや通信回線が一般家庭にも急激に普及し初め、また企業内でもIT化の需要が増えていた時期で、まさにITバブルにさしかかろうとしていました。
そんな折、当経済企画庁長官の堺屋太一氏の発案で、インターネット上の博覧会が企画されました。そして同時に経済振興策としての側面もあったようです。

そして、このインパクのためにかなりの有名人が集められました編集長(複数)としては、当時から「ほぼ日刊イトイ新聞」を開設していた糸井重里氏、荒俣宏氏、浜野保樹氏、八谷和彦氏等(あとから田口ランディ氏など著名人が何人か加わりました)。ですが編集長といってもインパクは各サイトのパビリオン形式なので、主な仕事はメインゲートである「インパク広場(ゲート)」の企画、制作だった模様。

それと同時に、民間からの支援団体としてNPO法人、インターネット文化振興協会が設立されました。こちらにも、浅利慶太氏、吉村作治氏、俵万智氏など、著名人が集められました。

インターネット文化振興協会設立 - 2001年記念行事「インパク」を全面支援 | ネット | マイコミジャーナル(2000年の記事)


でも、上の記事に開催前から『ただ、政府主導ということもあってか、従来の箱モノ博覧会と出展社の顔ぶれが大差なくこれといった魅力に乏しい。また、PR不足もあいまって、インターネット・ユーザーの中心である若い層の関心を集めることにはまったく成功していないのが現状だ。』と書かれるように、前評判は必ずしもよいものではありませんでした。特に当時インターネットを使っていたのは、まだヘビーユーザーのほうの近い人が多かったですしね。ただ、インターネットにそういった層だけではなく、もっと一般の人を増やし、インターネットの利用人口を倍増させたいという目的もあったということです。

ちなみに以下は、当時のほぼ日で書かれた糸井重里氏と堺屋太一氏の対談。

ほぼ日刊イトイ新聞 -堺屋太一さん、どうしましょう?(2000年の記事)


2000年12月31日、インパク開幕


いよいよ2000年の大晦日、インパクは開幕しました。以下は当時のトップページのアーカイブ。

インパク(web.archive.orgより)

この約一ヶ月前の2000年12月5日、第二次森内閣が退陣し、経済企画庁長官も堺屋太一から竹中平蔵氏に移っていました。

当日は、今まで国主導でプラスの面でもマイナスの面でも話題になっていたので、初日はかなりの人が殺到し、開設直後から回線やサーバーの容量の10倍を越えるアクセスとなったようです。その時の推定アクセス人口は約30万人。当時としては、かなり高いほうでしょう。

ただし、開催の時点でもまだ「工事中」となっていたパビリオンも数多くありました。しかし、パビリオンは会期中にも増やしていくことが当初からの目的でもあったようです。

■参考:News:速報:「インパク」予想以上のアクセスで好調な滑り出し──Nielsen//Netratings(2001年の記事)
■参考:インパク、順調な滑り出し?~ユーザーの7割が中年男性(2001年の記事)


メーヴェ作成プロジェクト


このインパクにおいて出てきた企画の中で、開催前からネットユーザーに注目を浴びたものがあります。それは八谷和彦氏が提案した『風の谷のナウシカ』でナウシカが載っている「メーヴェ」という乗り物をオープンソースで実際に造ってみようという企画でした。
しかしそれを総務省の人に提案したところ、「ネット上ではなく、リアルにやるイベントは好ましくない」とかの理由で却下されたようです。

ちなみに、このプロジェクトは数年後、インパクとは別のところでプロジェクト「Open Sky」として実行されています。

ナウシカの「メーヴェ」を作ろう! - スラッシュドット・ジャパン(2003年の記事)
■参考:Open Sky(旧ページ)
■参考:OpenSky(新ページ)
■参考:ナウシカを待ちながら。(長文) - OpenSky 日誌


インパク音頭


また、当時ライターとしても活動していたボーカリストであり声優でもある桃井はるこさんが、月刊アスキー誌上において、当時経済企画庁長官だった堺屋太一氏にインタビューした時に話が弾んで、その末に「インパク音頭」というものを作成されました

 

ちなみに詳細な経緯は桃井さんのサイトに書いてあり、且つ今でもインパク音頭をダウンロード出来ます。

インパク黙認イメージソング『インパク音頭』

もしかしたら当時からのネットユーザーの間では、これらメーヴェや音頭といった外部動きののほうが印象に残っている方が多いかもしれません。


開幕数ヶ月後


しかし、万博は1年の長丁場、月日が経つとだんだんとそのインパクトが薄れてきます。

インパクのためにはかなり多額の税金(約110億円と言われている)が投入されたにもかかわらず、これだけ注目度が低いことで、インパクに対する疑問の声が大きくなってゆきます
また、コンテンツには出始めのフラッシュなどを使ったものが多くあったそうですが、それらは当時の一般家庭のインフラ(まだ通常電話回線で接続する家庭も数多くあった)では、重くてまともに見られない、という現象が頻発したようです。

インパク、利用者の不満はどこ吹く風(2001年の記事)

しかし、各パビリオンの中には、かなり興味深いものも見られたようです。たとえば高知県は知事室を24時間、ネットでライブ中継したとのころ。今ではありそうですが、当時としては画期的だったと思われます。
しかし、やはりコンテンツ力のある企業系サイトが人気だったようです(実際の万博とかでもそうだよね)。

そして折り返し点となる2001年5月、パビリオンの表彰式も行われました。

インパク第1四半期賞が決まる、優れたパビリオンを表彰 | ネット | マイコミジャーナル


しかし、この時点での決起集会のインタビューを見ると、なんとなく関係者にも、インパクに対しての本音が裏に隠れているように読めてしまうのは、気のせいでしょうか。

それでも開幕から150日でパビリオンは400、アクセスは月100万とそれなりの注目は集めていたようです。

News:「インパクは,これから見ます」――竹中・経済財政政策担当大臣(2001年の記事)
インパク、開幕から150日、パビリオンは400、アクセスは月100万に | ネット | マイコミジャーナル(2001年の記事)


インパク閉幕


そして、2001年の大晦日、最終日を迎えました。
そこまでの参加パビリオン数は507、トップページへのアクセス数は1年間で5億3300万だったようです。当時にして、このアクセス数が国のイベントとして多いか少ないかは判断が難しいところです。ちなみに当時のYahoo!の1日PVは1億以上だったりしますが)。

ちなみに糸井重里氏の最終日のコメント。

ほぼ日刊イトイ新聞 - インパクを遊ぼうぜ(2001年の記事)

いろいろとあったことが、文章から見えたりします。



インパクの成否は?


ここでやはり注目がいくのは「インパクは成功だったのか、失敗だったのか」ということでしょう。

これについては、「インパクによりITが広く認知されADSLやFTTHなどのブロードバンドの普及に弾みがついた」との見解もあるようですが、ネット上での意見を見る限りは「失敗」との声が高いようです。
 失敗に挙げる主な理由としては、110億円もの予算をかけながら、それに叶う効果があがらなかったこと。

アンケートでは86%が失敗と回答していました。その理由等しては「あまり皆が見ているという話を聞かない」「せっかくアクセスしてみても、だから何?という内容だから」「宣伝不足で親しみがあまりない」などが挙がっています。

そしてもうひとつは、インパクの終了後、ほとんどのコンテンツが消滅してしまったこと。

まず、インパクの跡地(http://www.inpaku.go.jp/)ですが、現在はNotFoundとなっています。どうやら閉幕後、1年以内には消えてしまったようです。
また、最初に設立されたNPO法人インターネット文化振興協会ですが、2002年4月1日、解散しました。跡地のドメインはとられてしまっているようです(広告っぽいのでリンクはせず)。

そしてその他のコンテンツ、パビリオンもほとんどが消えてしまい、今では先に紹介したサイトほか少数しか残っていません。
以下は2004年の記事ですが、現在ではそれからもさらに消滅しています。

■参考:インパクの跡地を巡ってみよう(Excite Bit コネタ) - エキサイトニュース(2004年の記事)


この、終了したらそれまででせっかくお金をかけて作ったコンテンツを一時的な現象としてしまい、未来に残さないような終わり方については、疑問の声が相次ぎました。

インパクの“失敗”を総括する(2002年の記事)
■参考:インターネット博覧会 - Wikipedia

しかし、インパクに対する批判が提唱されることにより、インターネットにおける情報の在り方が考えられる契機になっていたとしたら、皮肉なことに日本のインターネットを成長させたのかもしれません。



インターネットの歴史史料として保存してほしい


日本のインターネット市場は、インパク以前の時代からは考えられないくらいに拡大しました。それにインパクの存在がどれくらい効果があったのかはわかりませんが。

しかし、前にも少し述べましたが、インターネットにおける情報というのは消えてしまい、昔の情報がなかなか出てこないことが多々あります。

■関連:Timesteps : ネット上の一次ソースを保存、蓄積する仕組みの必要性

そんな折、今でもインパクのコンテンツがしっかりと残っていれば、「ああ、10年前にはこういうコンテンツが出来ていて、こういうふうになっていたんだ」という当時の出来事、それにインターネット技術の歴史が保存出来、それなりに価値を持つコンテンツとなっていたはずです。少なくとも保存していないときより、投入したいくらか分のもとはとれるWeb史料となっていたのではないでしょうか。


今からでも遅くはないので、復活させて2000年当時のアーカイブとして公開すれば面白いと思ったりします。情報は出来た当時の判断ではなく、時間の経過とともに価値が変わると思うので。